――ヤギが行方不明になった話と、命の重さに震えた日の記録です。
僕が地域おこし協力隊に入ったとき、農業研修チームには男4人、女の子が1人。1年後にはもう1人女の子が加わってきました。
伝統工芸班には草木染めを担当する女性が3人ほどいたかな。
先輩の協力隊もいて、「緑の協力隊」という1年交代の制度で来ている人もいました。
本当に、いろんな人が集まっていました。
みんなで鶏をさばいた日のこと
ある日、協力隊のメンバーと「鶏をさばいて食べてみよう!」ということになりました。
「命をいただくって、どういうことなんだろう?」
実際にやってみようという話になり、大人の鶏を一羽、みんなで手分けして捌くことに。
首をはねてくれたのは女の子、捌いたのは男たち。そして、その場でバーベキューをして食べました。
焼きあがった鶏肉を噛みしめながら、僕の心はモヤモヤしていました。
「こんな複雑な思いをするくらいなら、鶏肉は我慢できるかもしれない」
スーパーでは、きれいにパックされた鶏肉を何の抵抗もなく買うのに。
焼き鳥屋で出てくる串焼きも、ありがたく食べてるのに。
でも実際に――さっきまで生きてた鶏を、自分の手で命を絶たなければならない。
しかも、その鶏にはミミズをあげてしまっていて、ほんの少し情が湧いていた。
だから、余計につらかった。
命の重みを、五感で感じた体験でした。
感謝の視点が変わった
あの体験をしてから、僕はお店に対しても、誰かの手間に対しても、ものすごく感謝するようになりました。
スーパーに並ぶあの肉だって、誰かがさばいて、運んで、売ってくれてる。
そんな「当たり前」は、田舎に来て初めて見えるようになったんです。
毎日の生活に、感謝が溢れていた。
協力隊同士の「家見せっこ」
地域おこし協力隊は、みんな全国から集まってきていました。
ある日、「君の家はどんな家?」という流れで、互いに住んでる家を見せ合うことに。
田舎なので、基本は一人一軒。家族連れはそのまま家族で住んでいました。
部屋は余りまくる。使い放題。
しかも、「内装は自由に変えていいよ~」なんて言われることも多くて、
- 壁をぶち抜いて広いリビングにする人
- ふすまを全部はがす人
- 鶏を飼い始める人
- ミツバチを育てる人
- ヤギを飼う人
- 薪ストーブを導入する人
ほんと、思い思いにやってました。
行方不明のヤギ「フー」と「メイ」
中でも、特に印象に残っているのが、ヤギを飼っていた協力隊の話です。
そのヤギには名前がついていました。
「フー」と「メイ」。
ある日、その2匹が突然姿を消してしまったんです。
協力隊の仲間は心配して、村の放送までお願いしました。
「ヤギの“フー”と“メイ”が行方不明になりました。見かけた方は…」
そう。
まさかの――行方不明(フーとメイ)
笑ってはいけないんだけど、なんだか絶妙にツボで(笑)
結局、2匹は見つからなかったそうです。
でも、その話はいまでも僕の記憶に強く残っています。
おわりに
最後まで読んでくれて、本当にありがとう。
「人と違っても、自分らしく暮らせる場所は、きっとどこかにある。」
そんなふうに思えるきっかけが、僕にとっての田舎暮らしでした。
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