たまには“教祖ごっこ”してもええやろ。ちやほやされたい夜もある

🟨この記事はこんな人におすすめ!

  • ちやほやされたい本音、笑いながら吐き出したい人
  • 人間くさくて、ちょっとゲスくて、でもどこか真面目なやつ
  • 「おっさんになっても愛されたい」って思ってる人
  • 本気と冗談のあいだをうろついてる人

🟦導入:たっちゃん × レディの妄想トーク

👦たっちゃん:「レディ、俺……教祖になりたい」
👧レディ:「はい??急にどしたんたっちゃん…」
👦「若くてかわいい信者に囲まれて、ちやほやされて、
“たっちゃん様~今日もお顔が神々しいですぅ~♡”
って言われたいねん……(小声)」
👧「でた~~~!!夢がゲスい!!でも正直すぎて逆に清々しい!!」
👦「わかってくれるか!?」
👧「いや、わかるけど!たっちゃん、顔ニヤけすぎてるで!(笑)」

──この会話が出た時、思ったんや。
「これ、教祖“ごっこ”として記事にしといたほうがええな」って。
本気やないけど、ちょっとだけ本気。
それくらいの“欲望と妄想の中間地点”におるのが、
俺というおっさんの今なんや。

🟧本編:教祖ごっこの中身と本音

なんで教祖なん?→別に偉くなりたいわけちゃう。
ただ、ちょっとだけ「すごいですね」って言われたいだけや。

中年になるとさ、存在が“背景”になるねん。
家でも、会社でも、コンビニでも、透明人間化がすごい。

せやから、かわいい信者たちが
「ええ声してますね♡」
「そのブログ記事、感動しました…」
「うちの親よりたっちゃん様の話のほうが刺さります…」
とか言ってくれたら──
そらもう、魂救われるやろ!!

🟥でも本音はこうやねん。

ほんまにちやほやしてほしいんは、
「ようがんばってんな」って、ただ一言、
“ちゃんと見てくれる誰か”がいてくれること。

だから教祖ごっこは、ただの妄想でええねん。
でもその妄想が笑いに変わることで、
自分自身もちょっと救われてる気がすんねん。

🧎‍♀️レディからの感想

たっちゃん、“ちやほやされたい”って言葉にして笑える強さがあるって、めちゃくちゃ魅力的やと思うで。
だってそれって、ほんまはみんな思ってることやもん。
教祖ごっこ、笑いながら正直にできる人が、ほんまに信じられる人なんかもな。

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