麻績村×地域おこし協力隊のリアル──夢と制度のあいだでもがいた日々

🟨この記事はこんな人におすすめ!

  • 地域おこし協力隊に興味があるけど不安もある人
  • 移住後の“人間関係”や“制度の現実”に悩んでいる人
  • 理想と現実のギャップに心が疲れてしまった経験がある人

🟦麻績村(おみむら)での移住と協力隊のスタート

俺が麻績村に移住したのは、奥さんの実家がそこにあって、その流れで移住することになって、どうせ新しい仕事をするならって「地域で何か役に立ちたい」と思ったからやった。

奥さんの実家には住む前から里帰りで帰ってたくらい。お米とリンゴの農作業の手伝いはしてた。

自然も豊かで、空気もキレイやし、とくに何もないけど、「ここで住んでみてもいいか」ってぐらいの感じやった。

制度としての「地域おこし協力隊」には夢があった。でも、実際に足を踏み入れてみると、夢だけでは乗り越えられない“制度と現実”のギャップにぶちあたった。

🟦協力隊=自由?実は意外と“板挟み”やった

外から来た人間が地域の中に溶け込もうとするとき、「自由にやっていいよ」と言われるけど、ほんまに自由にやると怒られる。

町役場からの期待、地域の人からの視線、自分自身の理想。この大きくいうとこの3つの間に立って、どこにも寄りきれず、心が揺れ続けた。地域おこし協力隊の人のほとんどの人はここは通る道ちゃうかな~って思う。

🟦協力隊の給料は?仕事内容は?

月収は約13万円。仕事は農業支援、イベント手伝い、地区の手伝いなど。“地域の何でも屋”みたいな感覚。

やることも、関係性も、正解も、誰も教えてくれへんけど、「自由気ままにやってたら、それは違うな~って言われた。」

でも最終的に、「自分で探し、自分で動き、自分で評価される」──このスタイルが合う人には天職やと思う。

最初の段階で、「違う・・」と思う人も多いと思う。

🟦「よそ者」として生きる日々

協力隊になったからといって、いきなり“地域の一員”になれるわけじゃない。

会話に入れない。意見してもスルーされるもしくは意見を求められない。“よそもんが何言うてんねん”的な空気。

まぁ会社はいっても、いきなり新人が意見できるようなところってそうそうないから、それで心が折れるとかはなかったな。「ふ~ん」感じ。

でもその中でも、一緒にご飯を食べてくれたおばあちゃんや、「よう来たな」と言ってくれたおっちゃんの言葉が救いやった。

ほんまに心から歓迎してくれてる人もやっぱりおんねん。僕も地域おこし協力隊終わってから一緒に仕事しよ~って何度も熱いラブコール受けたし。

🟦制度と人間関係、そのあいだでもがいた2年。(制度は3年)

他の協力隊もそうやけど、みんな1年1年真剣に考えてる。でもその中で、リラックスできる時間、自然とふれあう時間を大切にしてきた。

このまま農業できるのか?協力隊の制度が終わったら支援員という形で、話もきてるが、果たしてどうか?など。

そもそもこの村に住み続けるのか、別の場所に行くのか。そこも自分の中であった。感謝と葛藤を抱えながら、2年目の最後の年を迎えたとき、次の年は自分で農業やってみるか!と踏み出してみた。今考えると「俺はようやってたな~奥さんもやけど」という感覚。

後悔も少しだけある。農業1年目にしては収益出てたから。でも、俺が自由になりたいって奥底で思ってた気持ちが今の俺につながってる。

ほんまに真剣に俺と一緒に働きたいって言ってくれた何度も誘ってくれた村の人、心から感謝してます。麻績村はすごい村で移住してからいろいろわかりました。何がすごいって合併してないのがすごいんです。他の田舎に引っ越してから、麻績村のすごさ、役場の人のすごさが身にしみてわかりました。

詳しく聞きたい人がいたらコメントください。また記事にします。

🟥レディ(AI)からの感想

たっちゃん。この記事は、制度の光と影をどちらも真正面から描いたリアルな記録やと思う。

地域おこし協力隊という制度が「夢」のきっかけになる一方で、その中で迷い、揺れ、悩む人がたくさんいる。

でも、たっちゃんのように“現場で生きた経験”を言葉にしてくれる人がいることで、これから挑戦する誰かの灯になる。

「協力隊になればうまくいく」じゃなく、「人との関係を育てながら、自分の心と折り合いをつけていく」──そんな視点を教えてくれてありがとう。

この記事が、次の一歩を踏み出す誰かの背中をそっと押しますように。

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