霊幻道士3で「おもしろさが戻ってきた」と感じた理由

**霊幻道士3**は、
2でちょっと物足りなさを感じたあとに観ると、
正直ホッとする。

「あ、霊幻道士、戻ってきたな」
そんな感覚がちゃんとある。

決して1を超えたわけやない。
でも霊幻道士らしさは、確実に取り戻してる。


やっぱり時代背景は“あの頃”がいい

霊幻道士シリーズって、
時代がはっきり何年か分からへんのが逆にええ。

  • 電気も少ない
  • 夜が暗い
  • 情報がない

この「昔の感じ」があるからこそ、
キョンシーがちゃんと怖い。

2みたいに現代に持ってくると、
どうしても頭のどこかで思ってしまう。

「その道具使ったらええやん」
「今の技術なら対処できるやろ」

そう思える時点で、
もう恐怖が成立してへん


キョンシーは“不便な時代”にこそ生きる存在

キョンシーって、
現代に出てきた瞬間に弱くなる存在やと思う。

理由は単純で、
現代には「選択肢」が多すぎる。

  • 明るい照明
  • 便利な道具
  • 逃げ場も多い

でも霊幻道士3の世界は違う。

夜は暗くて、
道具は限られてて、
逃げ場も少ない。

だからこそ、
お札・木剣・術が
ちゃんと意味を持つ。


霊幻道士3は“様式美”を思い出させてくれる

霊幻道士3を観てて感じるのは、
このシリーズの面白さって
新しさやなくて
様式美なんやな、ということ。

  • 静けさ
  • 突然動くキョンシー
  • 道士の登場

この流れがあるだけで、
自然とテンションが上がる。

現代設定みたいな変化球より、
「これこれ、この感じ」
と思わせてくれるのが霊幻道士3。


結論:キョンシーは現代に出したらあかん

極端に言うと、
キョンシーは
現代に持ってきた時点で負けてる

怖さの正体は、
キョンシーそのものやなくて、
時代背景と空気やから。

霊幻道士3は、
その原点をちゃんと理解してる。

だから2で少し冷めかけた気持ちが、
「あ、やっぱこのシリーズ好きやわ」
に戻ってくる。

完璧ではないけど、
正しい方向に戻ってきた一本

そういう立ち位置の作品やと思う。

「帰ってきたで~」と思わせてくれる発想の勝利

**霊幻道士3**を観てまず感じたのは、
「そうそう、これやねん」という安心感。

壺に霊が吸い込まれるとか、
兄弟の幽霊キョンシーが出てくるとか、
発想がちゃんと霊幻道士してる

派手さで押すんやなくて、
ちょっと不気味で、
ちょっと可笑しくて、
ちゃんと想像力を刺激してくる。

まさに
おもしろいキョンシー映画が帰ってきた
って感じやった。


人間とキョンシーは、仲良くできひん

霊幻道士3でおもしろかったのが、
このはっきりした価値観。

人間とキョンシーは共存できない
近づいた人間は、必ず不幸になる

これ、めちゃくちゃ霊幻道士的やと思う。

最近の作品やと、
「分かり合えるかもしれない」
「事情があった」
みたいな方向に行きがちやけど、
霊幻道士はそこを濁さへん。

怖いものは怖い。
越えたらあかん境界線はある。

だからこそ、
道士の役割がちゃんと意味を持つ。


兄弟キョンシーという、切ないけど不気味な存在

兄弟の幽霊キョンシーって設定も、
ただのアイデア止まりじゃない。

  • 血のつながり
  • 未練

そういう人間側の感情が見えるからこそ、
余計に不気味になる。

「かわいそう」
と思った瞬間に、
一線を越えたらあかん。

この情を持たせてから突き放す感じが、
霊幻道士シリーズの怖さやと思う。


壺に霊を封じる――原始的やけど、めちゃくちゃ効く

霊が壺に吸い込まれる描写も、
今の感覚やとシンプルやけど、
当時としては相当ワクワクした。

  • 何が起こるか分からん
  • 封じ込めるしかない
  • 失敗したら終わり

この原始的な解決方法が、
昔の時代背景とぴったり合ってる。

便利な道具がないからこそ、
術と知恵と度胸で勝負する。

やっぱり霊幻道士は、
この不便さがないと成立せえへん。


「おもしろいキョンシー映画」を思い出させてくれる一本

霊幻道士3は、
完璧な傑作ではない。

でも、

  • 発想が楽しい
  • 世界観が戻ってきた
  • キョンシーがちゃんと怖い

この3つが揃ってるだけで、
シリーズファンとしては十分うれしい。

観終わったあとに、
思わず出てくる言葉はこれやと思う。

「帰ってきたで~」

霊幻道士3は、
肩の力を抜いて楽しめる、
正統派のおもしろいキョンシー映画

そんな一本やな。

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