――静かに生きたかった男の物語
ランボー。
そして、シルベスター・スタローン。
まず言わせてほしい。
いやいや……
スタローン、かっこよすぎるやろ。
くぼんで少し垂れた目。
高い鼻。
小さめの唇。
いかにも「作られたイケメン」ちゃうのに、
圧倒的な存在感がある。
これぞハリウッドスターって人。
でも、ランボーはスカッとする映画ちゃう
ランボーって聞くと、
- 無双
- 銃
- 筋肉
みたいなイメージが先に来る。
けど、
この1作目は全然ちゃう。
戦争から帰ってきて、
ただ静かに暮らしたいだけの男の話や。
疲れてる。
心も体も、もう限界。
それやのに――
彼を包み込むやさしさが、
この世界にはまるで用意されてへん。
追い詰められていくランボーは、他人事やない
警察に追い払われ、
尊厳を奪われ、
理解されない。
そこで爆発してしまう。
正直に言うと、
観ててこう思った。
自分があの立場やったら、
たぶん同じことすると思う。
ランボーは暴れたいわけやない。
誰かを傷つけたいわけでもない。
ただ、
もうこれ以上、踏みにじられたくなかった。
戦争の悲惨さは描かれへん。でも、後遺症は重い
この映画、
戦争の直接的な地獄はほとんど映らへん。
けど代わりに描かれるのは、
軍人の「その後」。
- 帰る場所がない
- 理解してくれる人がいない
- 普通の生活に戻れない
これが、ほんまにしんどい。
「英雄」として扱われることもなく、
「危険人物」として排除される。
ほんま、
誰が得すんねん、戦争。
ラストで全部ひっくり返される
ランボーを
「強い男の映画」と思って観たら、
ラストで完全に裏切られる。
あそこで見えるのは、
筋肉でも銃でもない。
壊れてしまった人間の叫びや。
あのシーンがあるから、
この映画はただのアクションにならへん。
結論:これは反戦映画やと思う
ランボーは、
戦争をかっこよく描いてへん。
むしろ、
「終わったあとに残るもの」を突きつけてくる。
静かに生きたかっただけの男が、
静かに生きることを許されなかった話。
だから観終わったあと、
こう思ってしまう。
戦争、やめようよ。
ランボーは、
筋肉映画やない。
めちゃくちゃ優しくて、めちゃくちゃ悲しい映画や。
それを、
シルベスター・スタローンという
唯一無二のスターが背負ってる。
やっぱりこの人、
ほんまにかっこええ。
反戦映画のはずが、大ヒットしてしまった矛盾
ランボーって、
本来はめちゃくちゃ反戦寄りの映画やと思う。
「もう戦ったらあかん」
「戦争は人を壊す」
そういうメッセージは、
ちゃんと作品の芯にある。
でもな――
それでも映画は大ヒットして、
シリーズは何本も続いた。
理由は、はっきりしてる。
シルベスター・スタローンが、
かっこよすぎたから。
悲しい話やのに、爽快感が勝ってしまった
ランボーは、
ほんまは追い詰められた男の悲劇や。
でも画面に映るのは、
- 無言で耐える姿
- 一人で山に入る背中
- 圧倒的な身体能力
これがもう、
どう見てもヒーローやった。
観てる側はいつの間にか、
「かわいそうやな」
より先に
「かっこええな」
って感じてしまう。
このメッセージと映像のズレが、
ランボーという作品の最大の皮肉やと思う。
「暴れ倒す男」が、時代に求められてた
80年代って、
こういう男がめちゃくちゃ求められてた時代やと思う。
- 理屈言わへん
- 黙って行動する
- 一人で全部背負う
暴れ倒す男。
でも弱さも抱えてる。
そんな存在が、
当時の観客には
最高にかっこよく映った。
だから反戦映画やのに、
「スカッとする映画」として受け取られて、
結果的にシリーズ化していった。
令和の日本では、たぶん流行らへん
今、令和の時代に
ランボーみたいな男が出てきたらどうなるか。
日本やと、
たぶん間違いなくこう言われる。
- 危ない
- 話し合え
- コンプラ的にアウト
もう
「暴れたら解決」
なんて物語は、
素直には受け取られへん。
それが良い悪いは別として、
時代は確実に変わった。
それでも、あの頃のランボーは眩しかった
今の感覚で見ると、
ランボーは危ういし、
矛盾だらけの存在や。
でも当時は、
間違いなく輝いてた。
- 強さ
- 孤独
- 不器用さ
全部ひっくるめて、
スターの説得力があった。
だから反戦映画やのに、
爽快で、
記憶に残って、
語り継がれる。
ランボーが教えてくれるのは、
戦争の愚かさと同時に、
「時代がヒーローをどう作るか」
その怖さと面白さなんかもしれへんな。
今は流行らんかもしれん。
でも、
あの時代に生まれたランボーは、
やっぱり忘れられへん存在や。
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