『紅の豚』に登場するマンマユート団。飛行艇で船を襲う空賊ですが、子どもたちに振り回されたり、フィオの言葉に態度を変えたりと、怖さだけでは説明できない集団です。
マンマユート団は、賞金稼ぎのポルコと敵対する空賊の一団。荒っぽい行動と、どこか抜けた人間くささを併せ持つところに特徴があります。
ただの愉快な仲間たちというわけではありません。人の物を奪い、子どもを人質にする。それでも、場面によっては妙に気のいいおじさんたちに見えてくる。その矛盾が、この一団を印象に残る存在にしています。
この記事では、マンマユート団の基本情報や名前の意味を整理し、冒頭の襲撃場面から彼らの人物像を考えていきます。
※ここから『紅の豚』の物語後半の展開を含むネタバレがあります。
『紅の豚』マンマユート団とは?ポルコに仕事を邪魔される空賊たち
マンマユート団は、飛行艇を使って客船などを襲う空賊です。海上の船に対し、空から近づいて金品を奪う。そんな彼らを相手に賞金稼ぎをしているのが、赤い飛行艇を操るポルコ・ロッソです。
つまり、ポルコとマンマユート団は、単に性格が合わないから争っているわけではありません。空賊にとっては獲物を横取りされ、稼ぎを失う相手。ポルコにとっては、仕事の対象となる相手です。
この関係が分かると、彼らがポルコを目の敵にする理由も見えてきます。ただし、対立の描き方にはコミカルな部分があり、顔を合わせた瞬間から殺意だけが漂うような間柄にはなっていません。
マンマユート団と空賊連合は同じもの?
作中では、マンマユート団のほかにも空賊たちが登場します。マンマユート団は一つの集団で、空賊連合は複数の空賊集団が集まったものです。
大勢の空賊が集まる場面では混同しやすいのですが、そこにいる全員がマンマユート団の団員というわけではありません。ポルコへの対抗という共通の目的が、別々の集団を結びつけています。
一人で飛ぶポルコに対し、仲間とまとまって動く空賊たち。この違いも、物語のにぎやかさにつながっています。
ボスと飛行艇「ダボハゼ」が目印
一団を率いるのは、大きな鼻とゴーグルが印象的なマンマユート・ボス。部下たちを大声でまとめる姿は、いかにも荒くれ者の親分です。
また、マンマユート団の飛行艇には「ダボハゼ」という名前があります。三鷹の森ジブリ美術館の公式オンラインショップでも、機体とドクロをモチーフにした商品が、その名称で紹介されています。
参考:三鷹の森ジブリ美術館オンラインショップ「特集 マンマユート!」
ポルコの赤い機体とは違い、大勢で乗り込む飛行艇には、集団で商売をしているような生活感もあります。彼らにとって飛行艇は、格好よさを見せる道具である以前に、稼ぐために必要なものなのでしょう。
マンマユートの意味は「ママ、助けて」
強そうな空賊の名前ですが、「マンマユート」はイタリア語で「ママ、助けて」という意味です。これは三鷹の森ジブリ美術館の公式ページで説明されています。
いかつい男たちの集団に、この名前。意味を知ると、彼らを見る目が少し変わってきます。
もっとも、この名前だけを根拠に、団員全員が臆病だとか、母親に甘える性格だと決めることはできません。名前の意味と、人物の細かな設定は分けて考える必要があります。
それでも、強がっているのに格好がつかない彼らの姿とは、よく似合っています。威勢はいい。でも、いつでも思いどおりに物事を進められるわけではない。その落差を感じさせる名前です。
なお、美術館のミュージアムショップにも「マンマユート」という名前が使われています。映画の登場集団の名前が、そのまま店名にもなっているわけです。
冒頭の名場面|人質にした子どもたちに振り回される
マンマユート団の人物像が分かりやすく表れているのが、映画冒頭の客船襲撃です。
彼らは船を襲い、金品だけでなく少女たちも人質として連れ去ります。行動だけを取り出せば、危険な空賊そのものです。
ところが、少女たちはおとなしく怯えているばかりではありません。大勢の子どもたちが動き回り、空賊の側が対応に追われる。支配しているはずの大人たちが、だんだん振り回される側になっていきます。
仲間外れを気にする、ちぐはぐな気遣い
この場面では、人質の人数を絞ろうとする一方で、ボスが仲間外れになる子を気にして、結局は少女たちをまとめて連れていくというやり取りがあります。
そこだけ見ると、妙な気遣いのできる大人に見える。けれど、そもそも誘拐しているんよな、という話でもあります。
悪いことをしている最中に、部分的には相手を気遣う。そのちぐはぐさが、マンマユート団の笑いになっています。
この描写から、彼らを善人だと結論づけることはできません。ただ、相手の気持ちをまったく考えない存在としても描かれていない。乱暴さと甘さが、同じ人物の中に同居しているように見えます。
子どもたちとの関係が、空賊の怖さを変えている
もし少女たちが終始怯え、空賊が恐怖で押さえつけていたなら、この場面の印象は大きく変わるはずです。
実際には、子どもたちの勢いによって空賊の威厳が崩れていきます。大人の大きな声や怖そうな見た目が、子どもには思ったほど通用していない。その構図が、襲撃場面に軽やかさを生んでいます。
とはいえ、笑える描写と、行為が許されるかどうかは別の話です。マンマユート団の人物像を考えるときは、この両方を置いておくと、単なる「実は優しい悪役」という説明よりも面白くなります。
悪事を働く一団なのに、人間らしい隙がある。その隙があるからこそ、彼らはポルコに倒されるだけの相手では終わらないのではないでしょうか。
フィオとの名場面|空賊たちにも飛行艇乗りの誇りがある
マンマユート団の別の一面が見えるのが、ポルコの隠れ家でフィオと向き合う場面です。
修理を終えて戻ってきたポルコを待ち構えていた空賊たちは、彼の飛行艇を壊そうとします。そこで立ちはだかるのが、その機体の設計を担当したフィオです。
彼女は、空賊たちが大切にしているはずの、飛行艇乗りとしての名誉に訴えます。その言葉を受け、彼らは機体を壊すことを思いとどまります。
ここで大切なのは、フィオが力で男たちを押さえつけたわけではないことです。彼ら自身が持つ誇りと、今からしようとしている行動の食い違いを突いています。
自分たちの格好悪さを指摘されると、立ち止まれる
ポルコへの腹いせに、大勢で飛行艇を壊す。それは、空で腕を競うこととは違います。
フィオの言葉は、空賊たちにとって、自分たちがどういう飛行艇乗りでありたいのかを問い直すものだったと考えられます。
彼らの誇りは、いつでも立派に行動できる強さというより、格好悪いことをしていると気づかされたときに、引き返せる余地として表れているように見えます。
もちろん、これで過去の悪事まで帳消しになるわけではありません。それでも、自分たちより若い相手の言葉を受け止め、行動を変えられる。その点には、単なる乱暴者では片づけられない面があります。
威勢よく集まった大人たちが、少女に筋を通されてしまう。ちょっと格好悪い。でも、その言葉を聞けるところには、まだ格好よさが残っているんちゃうかな。
フィオへの態度の変化にも、彼らの単純さが出ている
このやり取りを経て、ボスたちはフィオに好意的になっていきます。後の記念撮影では、ボスが彼女の隣を確保しようとする姿も描かれます。
さっきまで荒っぽく振る舞っていた人が、今度は写真に一緒に収まろうとする。その変わり身には、思わず肩の力が抜けるような可笑しさがあります。
ただ、フィオの役割を、空賊たちに好かれる少女というだけで捉えると、この場面の大事なところを見落としてしまいます。彼女は自分が設計した飛行艇を守るため、相手に向き合い、言葉で状況を動かしています。
空賊たちの態度が変わるのは、フィオが彼らの世界にある価値観を理解し、それを正面から問いかけた後です。彼女の働きかけと、それに反応する男たちの姿を合わせて見ると、双方の人物像がよく分かります。
決闘の名場面|ボスが勝負を仕切る側に回る
物語後半、ポルコとカーチスの決闘では、マンマユート・ボスが正装し、勝負を仕切る役を担います。
冒頭ではポルコに追い払われる側だった男が、今度は大勢の前で対決を取りまとめている。この役回りの変化も面白いところです。
空賊たちにとってポルコは憎らしい相手ですが、決闘の場では、その相手の勝負を見届ける立場になります。敵対しているからといって、すべての関係が断ち切られるわけではありません。
ここからは、彼らが争いながらも、飛行艇乗りという共通の世界に属していると読むことができます。
一人で飛ぶポルコと、仲間と動くマンマユート団
ポルコは、自分の腕と判断を頼りに飛びます。一方のマンマユート団には、ボスがいて、部下がいて、集団ならではの騒がしさがあります。
この違いは、どちらが自由かを単純に決めるものではありません。一人なら自分で決めやすい反面、引き受けるものもある。仲間がいれば思いどおりにならないことも増えますが、一緒に騒ぎ、失敗できる相手がいるとも考えられます。
マンマユート団を見ていると、空を飛ぶ暮らしにも、仲間との付き合いや金の問題がついて回ることが分かります。飛行艇さえあれば、何もかもから解放されるわけではないんよな。
ただし、これは彼らの描写から広げた解釈です。作品がマンマユート団を理想の生き方として提示している、とまでは言えません。
マンマユート団はなぜ憎めない?強がりと弱さが両方見えるから
彼らを憎めないと感じる理由の一つには、強そうな見た目に対し、弱さや隙が隠されていないことがあるのでしょう。
子どもたちには振り回される。ポルコには負ける。フィオには行動の筋の通らなさを指摘される。大声を出したからといって、何でも押し通せるわけではありません。
それでも、ボスは親分らしく振る舞おうとし、部下たちもついていく。うまくいかない場面まで含めて、集団としての姿が描かれています。
マンマユート団には、強がっている姿と、強がりきれない姿の両方があります。そのため、倒されるためだけに登場する敵よりも、生活や感情のある人間として受け取りやすいのかもしれません。
また、彼らの騒がしさは、ポルコの寡黙さとも対照的です。ボスたちが感情を表に出すほど、ポルコの落ち着いた態度が際立つ。一方で、彼らがいることで、物語には深刻な表情だけではない、にぎやかな時間が生まれています。
まとめ|マンマユート団は、格好がつかないところまで描かれる空賊たち
『紅の豚』のマンマユート団は、ポルコと敵対する空賊の一団です。名前には「ママ、助けて」という意味があり、飛行艇「ダボハゼ」に乗って行動します。
人物像を知るうえで注目したいのは、子どもたちに振り回される冒頭、フィオに飛行艇乗りの名誉を問われる場面、そしてボスが決闘を仕切る姿です。
彼らの魅力は、荒っぽさの中に、人の言葉で立ち止まれる部分や、隠しきれない弱さが見えることにあります。
いつでも筋が通っているわけではないし、立派な大人でもありません。それでも、格好がつかなくなった姿まで描かれるからこそ、人間くささが残ります。
ポルコの格好よさを追うだけでなく、その周りで騒ぐ空賊たちに目を向けると、『紅の豚』にはいろいろな大人の姿があることに気づかされます。マンマユート団は、その幅を感じさせる存在ではないでしょうか。

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