カテゴリー: 映画の感想

  • 映画『コブラ』から考える、80年代アメリカ映画のはみだし刑事像

    なぜ80年代アメリカ映画の刑事は「はみだし者」ばかりだったのか

    ――映画から見える、あの時代の閉塞感

    **コブラ**をはじめ、
    80年代のアメリカ映画を振り返ると、
    ある共通点に気づく。

    それは、
    刑事がだいたい組織から浮いているということ。

    • 上司の命令をあまり聞かない
    • ルールより自分の判断を優先する
    • 問題児扱いされている

    でもなぜか、
    結果だけは出す。

    今の感覚で見ると
    「問題ありすぎやろ」と思うけど、
    当時はこのタイプがヒーローやった。


    自由な国アメリカにも、息苦しさはあった

    アメリカは
    「自由の国」
    「自己責任で何でもできる国」
    というイメージが強い。

    でも80年代の現実は、
    必ずしも明るいことばかりやなかった。

    • 冷戦による緊張
    • 犯罪や社会不安の増加
    • 経済格差への不満

    表向きは強い国やけど、
    社会の中には
    言葉にできない閉塞感があった。


    だからこそ「ルール無視の刑事」が支持された

    そんな空気の中で登場したのが、
    命令よりも
    「自分の正義」で動く刑事。

    **シルヴェスター・スタローン**演じる刑事像は、
    まさにその象徴やった。

    • 会議で解決しない
    • 書類仕事もしない
    • とにかく現場で動く

    これは現実では危うい生き方やけど、
    映画の中では
    閉塞感を打ち破る存在として描かれた。

    観ている側は、
    「本当はこう生きたい」
    という気持ちを、
    スクリーンに重ねていたんやと思う。


    はみだし者=自由の象徴だった時代

    80年代の刑事映画に出てくる主人公は、
    完璧な人間ではない。

    むしろ

    • 不器用
    • 組織に向いていない
    • 協調性がない

    それでも
    「自分のやり方を貫く」姿が、
    自由の象徴として受け取られていた。

    はみだし者であること自体が、
    当時は
    かっこよさやったんやと思う。


    今の時代では成立しにくいヒーロー像

    今の社会では、

    • 組織のルール
    • 説明責任
    • コンプライアンス

    が強く求められる。

    そのため、
    80年代のような刑事像は
    今やと共感されにくい。

    でもそれは、
    当時の価値観が間違っていたわけではなく、
    時代が変わっただけやと思う。


    映画は、その時代の「願望」を映す

    80年代のはみだし刑事たちは、
    単なる乱暴者やなかった。

    • 社会の息苦しさ
    • 組織への違和感
    • 自由への憧れ

    そういうものを、
    映画という形で
    代弁してくれていた存在やった。

    だから今観ると、
    ツッコミどころは多いけど、
    時代の本音が詰まった映画として
    ちゃんと意味がある。


    結論:あの刑事たちは「時代の答え」だった

    80年代アメリカ映画の刑事が
    はみだし者ばかりだったのは、
    偶然じゃない。

    それは、
    「こう生きたい」
    「こうあってほしい」
    という
    当時の願望が生んだヒーロー像やった。

    今の時代にそのまま当てはめることはできへん。
    でも、
    映画として振り返ると、
    めちゃくちゃ面白いし、
    ちゃんと意味もある。

    映画は、
    その時代の空気を閉じ込めた
    文化の記録やなと、
    あらためて感じさせられる。

    多様性の時代に、「はみだし者」を描く難しさ

    80年代の映画は、
    今よりも情報が限られていたぶん、
    **分かりやすい“反対の人物像”**を描きやすかったんやと思う。

    社会が息苦しければ、
    その真逆を行く
    「ルールを無視する男」
    「組織に属さない刑事」
    を出せば、それだけでヒーローになれた。

    **コブラ**の刑事像も、
    まさにその時代だから成立した存在やった。


    今は多様性の時代。だからこそ難しい

    でも今は、
    価値観が一つじゃない。

    • 正義も人それぞれ
    • 生き方も人それぞれ
    • 何が正解か、簡単に言えない

    そんな時代に、
    一方向だけを持ち上げる人物を描くと、
    どうしてもどこかで
    「それは違う」
    「誰かを切り捨ててる」
    と言われてしまう。

    だからこそ、
    はみだし者を単純にヒーローにするのが難しい


    受け狙いに走ると、映画は一気に薄くなる

    その結果、
    無難なキャラ
    どこかで見た設定
    安全な展開

    こういうものが増えていく。

    でも受けを狙いすぎると、
    映画って急に
    中身のないものになってしまう。

    誰にも嫌われない代わりに、
    誰の心にも残らない。


    大きなお金が動く映画ほど、冒険できない現実

    今の映画業界を考えると、
    莫大なお金をかける以上、

    • ある程度の人気
    • 確実な動員
    • 失敗しにくい題材

    が求められるのは、
    仕方のないことでもある。

    だから
    「人気があるものの続編」
    「知名度のある原作」
    に集中していく。


    でも、低予算だからこそ刺さる映画もある

    一方で、
    低予算で
    テーマをギリギリまで絞った映画が、
    思いがけずヒットすることもある。

    • 設定はシンプル
    • 登場人物も少ない
    • でも芯がある

    そういう映画が、
    時代の隙間にスッと入り込むこともある。


    結論:正解は、たぶん誰にも分からない

    多様性の時代に、
    どんな人物を描けばいいのか。
    どんな映画がヒットするのか。

    これはもう、
    誰にも答えが出せへん

    だからこそ映画は面白いし、
    失敗も生まれる。

    80年代の『コブラ』みたいな映画は、
    もう同じ形では作れないかもしれない。

    でも、
    別の形の「はみだし者」が、
    どこかでまた生まれる可能性はある。

    それが
    大作なのか、
    低予算なのか。

    その答えは、
    まだ誰にも分からない。

  • ロッキーは「アメリカンドリーム」を自分の手でつかみ取った映画やと思う

    **ロッキー**は、
    間違いなく
    **シルベスター・スタローン**を
    世界的俳優に導いた一本やと思う。

    でもこの映画がすごいのは、
    「成功した」って結果だけやない。

    自分で動き出したから、すべてが始まった
    ってところが、何より胸にくる。


    誰かに選ばれたんやなくて、自分で切り開いた物語

    ロッキーって、
    最初からスターの話ちゃう。

    • 無名
    • 貧乏
    • チャンスもほぼない

    それでも
    「一度でええから、最後まで立っていたい」
    その気持ちだけで前に出る。

    これ、
    映画の中のロッキーだけの話やなくて、
    スタローン本人の人生とも重なってるのが強い。

    自分で脚本を書いて、
    自分で主演を勝ち取って、
    世界に出ていった。

    これぞ、
    絵に描いたようなアメリカンドリーム


    映画は「お金をかけたら勝ち」じゃないと教えてくれる

    今の映画って、
    どうしても
    「制作費いくら」
    「CGどれだけ使った」
    みたいな話になりがち。

    もちろん、
    お金をふんだんにかけた映画も好きや。

    でもロッキーを観ると、
    こう思わされる。

    映画は、気持ちが先やろって。

    • 大きな夢
    • 小さな日常
    • 諦めへん気持ち

    それを丁寧に積み重ねるだけで、
    こんなにも人の心を動かせる。


    夢に挑戦する姿は、やっぱり素敵や

    正直に言うと、
    自分がロッキーみたいに
    全力で挑戦し続けるのは、
    正直しんどい。

    疲れるし、
    怖いし、
    心も削れる。

    でもな――
    挑戦してる人を応援するのは、めちゃくちゃ好きや。

    • がんばれ
    • 負けるな
    • 立ってろ

    そう思ってる自分が、
    けっこう好きやったりする。


    ロッキーを観ると、ちょっと熱くなる自分がいる

    ロッキーって、
    観終わったあとに
    人生が劇的に変わる映画やない。

    でも、
    心の奥がちょっとだけ熱くなる。

    「まあ、もうちょい踏ん張ってみるか」
    「応援する側でええから、気持ちは持っていたいな」

    そんな気分になる。


    結論:ロッキーは「生き方」を肯定してくれる映画

    勝たなくてもいい。
    一番じゃなくてもいい。

    それでも、
    最後まで立ってたら、それでええ。

    ロッキーは、
    夢に挑戦する人だけやなく、
    それを見て応援する人の背中も、
    ちゃんと押してくれる映画や。

    自分はたぶん、
    ロッキーみたいには生きられへん。

    でも、
    ロッキーを観て熱くなる自分は、
    これからも大事にしたい。

    そう思わせてくれる、
    ほんまにええ映画やと思う。

    今の時代やと、ロッキーは評価されにくいかもしれへん

    正直に言うと、
    今の時代に『ロッキー』が初公開やったら、
    そこまで大きな評価はされへんかもしれへんな、と思う。

    今はどちらかというと、

    • いかに効率よく
    • いかに無駄を省いて
    • いかに短時間で成果を出すか

    そういう価値観が強い時代やから。

    ロッキーみたいな

    • 遠回り
    • 不器用
    • むさくるしい努力

    って、
    「非効率」のひと言で片付けられてしまいそうや。


    泥臭さが“ダサい”と見られる時代

    ロッキーは、
    スマートでもないし、
    要領もよくない。

    階段を走って、
    生卵飲んで、
    殴られても立ち上がる。

    今の感覚やと、
    「もっと賢いやり方あるやろ」
    って言われてもおかしくない。

    でもな、
    あの泥臭さそのものが、
    この映画の価値やと思う。


    だからこそ、リメイクはまだ先な気がする

    もし『ロッキー』がリメイクされるとしたら、
    それはまだまだ先やと思う。

    今の空気のままやと、

    • 努力が報われる話
    • 根性論
    • 最後まで立つことに意味がある

    こういう物語は、
    ちょっと重たく感じられるかもしれへん。

    でも、
    時代って巡るもんや。


    いつかまた、泥臭さが新鮮になる時代が来る

    効率や時短が当たり前になりすぎたら、
    きっとその反動が来る。

    • 早すぎる結果に疲れて
    • 比較され続ける毎日に疲れて
    • もっと人間くさい物語を求める

    そんな時代が、
    またきっと来る。

    そのときに
    「夢をつかむまで立ち続ける男」の話は、
    逆にめちゃくちゃ新鮮に映るはずや。


    ロッキーは、時代が変わるたびに意味が変わる映画

    ロッキーって、
    いつの時代に観るかで、
    受け取り方が変わる映画やと思う。

    • 昔は憧れ
    • 今は懐かしさ
    • 未来では、再発見

    泥臭く夢をつかむ姿が、
    また必要とされる時代に、
    この映画はきっと戻ってくる。


    結論:評価されなくても、価値は消えへん

    たとえ今の時代に
    評価されにくくても、
    ロッキーの価値は変わらへん。

    効率じゃ測れへんもの。
    結果だけじゃ語れへんもの。

    それを
    真正面から描いた映画は、
    何年経っても残る。

    ロッキーは、
    流行るための映画やなく、
    生き方を残す映画
    やと思う。

    だからこそ、
    またいつか、
    この映画が新鮮に見える時代が来る気がする。

  • 映画『デモリションマン』を観て思った、未来の医療と希望の話

    冷凍刑とか冷凍保存って、なんかロマンあるよな

    **デモリションマン**を思い出すと、
    やっぱり印象に残るのは
    冷凍刑・冷凍保存という発想。

    悪いことをしたら即処刑じゃなく、
    未来まで“保存”される。

    罰であり、
    猶予であり、
    ある意味では希望でもある。

    このあたり、
    どこかSF好きの心をくすぐるロマンがある。


    当時は笑えた「未来の性」が、今はちょっと現実寄り

    特に覚えてるのが、
    あの性的なシーン

    実際に体を重ねるんやなくて、
    機械を装着して
    感覚だけを共有するやつ。

    当時は
    「なんやそれ(笑)」
    「変な未来やな~」
    って完全にネタとして見てた。

    でも今あらためて考えると、
    VR、メタバース、疑似体験…。

    だんだん
    映画の未来が現実に近づいてきてる
    気がせえへん?


    映画の想像力が、現実を引っ張ってきた

    デモリションマンの世界って、

    • 危険なものは全部排除
    • 不快なことも排除
    • でも人間らしさも消えていく

    そんな社会を、
    ちょっと笑いながら描いてた。

    90年代は
    「こんなんさすがにないやろ」
    って思ってたけど、

    今は
    「いや、あり得るかも…」
    って感じてしまう。

    映画の想像力が、
    少しずつ現実を呼び寄せてる


    未来では、これが普通になるのかもしれない

    絡み合わない関係。
    触れない安心。
    管理された快楽。

    それが
    便利で、安全で、
    トラブルも少ない世界やとしたら――
    選ぶ人は確実に増えるやろな。

    そう考えると、
    デモリションマンは
    ただのバカSFやなくて、

    「人間はどこまで便利を選ぶんか」
    を、先に見せてくれてた気がする。


    正直、冷凍保存されてみたい気持ちはある

    未来がどうなってるのか、
    ちょっと見てみたい。

    自分が生きてる間には
    見られへん世界を、
    一度でええから体験してみたい。

    だから正直に言うと――
    冷凍保存、ちょっとやってみたい。

    もちろん怖いけど、
    それ以上に好奇心が勝つ。


    結論:デモリションマンは、今観るとSF感が薄いのが怖い

    昔は
    「未来の話」として笑えた。

    今は
    「ちょっと先の話」
    に見えてしまう。

    それが一番ゾッとするし、
    一番おもしろい。

    **シルベスター・スタローン**の
    古い価値観の刑事が
    未来社会で暴れるこの映画、

    令和の今こそ、
    もう一回ちゃんと観たくなる。

    デモリションマンは、
    近づいてきてしまった未来を
    笑いながら考えさせる映画
    やと思う。

    映画を観て思ったこと ―― 未来の医療への希望

    『デモリションマン』を観ていると、
    冷凍刑や冷凍保存というSF的な設定に目がいきがちやけど、
    個人的にいちばん現実的に感じたのは、
    **「未来の医療は今より確実に進歩しているやろうな」**という部分やった。

    今の時代では治療が難しい病気も、
    未来では治療法が確立されている可能性は十分にある。

    実際、
    昔は「不治の病」と言われていたものの多くが、
    今では治療できる、もしくは長く付き合える病気になっている。

    医学の進歩って、
    派手さはないけど、
    確実に前に進んできた分野やと思う。


    冷凍保存という発想が、少し現実的に見える理由

    冷凍保存と聞くと、
    どうしてもSFや夢物語に聞こえる。

    でも考えてみると、
    それは「永遠に生きたい」という願いというより、
    「未来の医療に希望を託す」という考え方に近い気がする。

    今は治療法が確立していなくても、
    時間が経てば状況が変わるかもしれない。

    映画の中の設定は極端やけど、
    その根っこにある発想自体は、
    そこまで非現実的でもない。


    映画の未来が、少しずつ現実に近づいている

    『デモリションマン』が公開された当時、
    描かれていた未来の社会や技術は
    「さすがに大げさやろ」と思えるものが多かった。

    でも今振り返ると、
    技術や医療、生活の仕組みは、
    少しずつ映画の想像に近づいてきている。

    映画は予言ではないけど、
    人間の想像力が、
    現実の進歩を後押ししてきたのは確かやと思う。


    まとめ:SF映画は、希望を考えるきっかけになる

    『デモリションマン』は、
    ただのアクション映画やなくて、
    「未来はどうなっているんやろ?」と
    考えさせてくれる作品やった。

    冷凍保存も、未来医療も、
    現実ではまだ未知の部分が多い。

    それでも、
    今より医療が後退している未来だけは、考えにくい。

    映画をきっかけに、
    そんな前向きな想像ができるのも、
    SF映画のええところやなと思う。


    (補足)

    ※本記事は映画をきっかけにした個人的な感想であり、
    医療行為や治療効果を保証・推奨するものではありません。

  • 当時めちゃくちゃ笑った映画――『刑事ジョー ママにお手上げ』は、家族のうっとおしさと愛の話やった

    刑事ジョー ママにお手上げ
    主演は**シルベスター・スタローン**。

    今やと
    「え、スタローンがこれ?」
    って言われがちな映画やけど、
    当時は普通にめちゃくちゃ面白かった。

    少なくとも、
    子ども心にはド直球で笑える一本やった。


    ママが拳銃を洗うシーン、あれは反則やろ(笑)

    この映画で一番覚えてるのは、
    やっぱりここ。

    ママが拳銃を洗ってしまうシーン。

    銃=危険
    銃=触ったらあかんもの

    それを、
    「汚れてるから」
    「きれいにしといた方がええやろ」
    って感覚で、普通に洗う。

    もうその時点でアウト(笑)。

    でもこのズレが、
    この映画のおもしろさそのものやと思う。


    うっとおしい。でも、放っておけへん

    刑事ジョーのママ、
    正直めちゃくちゃうっとおしい。

    • 口出しする
    • 世話焼きすぎ
    • プライベートにズカズカ入る

    でもな、
    完全に「悪」にはならへん。

    むしろ
    「おるよな、こういう家族……」
    って思ってしまう。

    鬱陶しいけど、
    心配してくれてるのは本物。

    この
    笑いと愛情が同時に来る感じが、
    この映画のいちばんええところ。


    アメリカ映画らしい「家族愛」の伝え方が好き

    この映画の家族描写って、
    めちゃくちゃアメリカ映画っぽい

    • 大げさ
    • 直接的
    • ちょっと強引

    でも最後はちゃんと
    「それでも家族は大切にしよう」
    って着地する。

    日本みたいに
    しみじみ語るんやなくて、
    ドタバタの中で伝える

    この感じ、
    当時は素直に楽しかった。


    スタローンが本気でバカをやってるのがいい

    ランボーや
    シリアスな役の印象が強い
    スタローンやけど、

    この映画では
    完全に振り回され役

    • ママに口出しされ
    • 仕事をかき乱され
    • 真顔でツッコミに回る

    スターが
    自分のかっこよさを捨てて
    全力でコメディやってる。

    これが当時は、
    単純におもしろかった。


    今はなかなか観られへんのが、逆に惜しい

    正直、
    今この映画を観ようと思っても、
    配信でサクッと見つかることは少ない。

    でもな、
    だからこそ余計に思う。

    「あれ、面白かったよなぁ」
    って記憶に残る映画って、
    それだけで価値ある。


    結論:完璧じゃない。でも楽しかった映画

    『刑事ジョー ママにお手上げ』は、
    名作かと言われたら、
    たぶん違う。

    でも、

    • 笑った
    • 覚えてる
    • 今でも話したくなる

    この3つが揃ってる時点で、
    映画としては十分成功やと思う。

    家族のうっとおしさと、
    それでも大切にせなあかん気持ち。

    それを
    銃と刑事とママで
    めちゃくちゃに描いた一本。

    当時、
    テレビ放送で笑った記憶ごと含めて、
    忘れられへん映画やな。

    シリアスが好き。でも、このコメディも嫌いじゃない

    正直に言うと、
    自分はやっぱり
    シリアスなシルベスター・スタローンが一番好きや。

    **シルベスター・スタローン**の
    無口で、重たくて、
    その道のプロみたいな顔。

    『ランボー』
    『暗殺者』
    『スペシャリスト』

    ああいう
    背負ってきたものが顔に出てる役が、
    どうしても刺さる。


    でも、コメディのスタローンも「ちゃんといい」

    それでもな、
    『刑事ジョー ママにお手上げ』を思い返すと、
    こうも思う。

    「ああ、これもアリやな」って。

    シリアスさを一回横に置いて、

    • ママに振り回され
    • 真顔でツッコミ入れて
    • かっこつける暇もなくバタバタする

    その姿が、
    逆に人間味あってええ

    スターやのに、
    ちゃんと笑われ役に回れる。

    これって、
    実はめちゃくちゃ難しい。


    振れ幅があるから、スタローンは面白い

    シリアス一辺倒やったら、
    たぶんここまで記憶に残ってへん。

    • 戦争の後遺症を背負う男
    • 孤独なプロの殺し屋
    • そして、ママにお手上げの刑事

    この振れ幅があるから、
    シルベスター・スタローンって
    映画スターとして完成されてるんやと思う。


    結論:どっちもあるから、好きになった

    シリアスなスタローンが好き。
    それは変わらへん。

    でも、
    コメディで見せる
    ちょっと情けなくて、
    振り回されるスタローンも、
    今思うとめちゃくちゃ愛おしい。

    だから結局、
    こうなる。

    「シリアスもコメディもできるから、
    シルベスター・スタローンはやっぱりええ」

    そんなふうに思わせてくれるのが、
    『刑事ジョー ママにお手上げ』やったな。

  • 中学生には刺激が強すぎた映画――『スペシャリスト』は“大人の世界”を見せてきた

    スペシャリスト
    主演は**シルベスター・スタローン
    そして
    シャロン・ストーン**。

    これははっきり覚えてる。
    中学1年生のとき、映画館で観た。

    今思えば、
    あの年齢で観るには
    なかなかハードな映画やったなと思う。


    大人の関係が、とにかく気まずい(笑)

    アクション映画やと思って観に行ったら、
    いきなり来るのが――
    大人すぎる二人の関係

    情熱的に絡み合うスタローンとシャロン・ストーン。

    中学生の自分からしたら、

    「うわ……」
    「これ、見ててええんか……?」

    っていう、
    いたたまれなさMAXの空気。

    まさに
    「大人の世界をのぞいてしまった」
    あの感じやった。


    今の年齢でも、あの空気は出せへん

    おもしろいのがな、
    今の自分は年齢的には
    あの二人をとっくに超えてる。

    それやのに――
    あんな情熱的な空気、出せる気せえへん

    若さやなくて、
    経験や覚悟がにじみ出る感じ。

    あれは年齢だけやなくて、
    「生き方」そのものが違う。


    スタローンは“その道のプロ”を演じるのがうますぎる

    改めて思うけど、
    シルベスター・スタローンって、

    • 爆弾専門
    • 殺し屋
    • 兵士

    こういう
    職業として危ない男をやらせたら、
    ほんまに説得力がある。

    派手に喋らん。
    説明もしすぎへん。
    でも、顔つきだけで

    「この人、ヤバい世界で生きてきたな」

    って分かる。

    この
    シリアス顔が映画のスクリーンに異常にハマる
    っていうのが、
    スタローンの最大の武器やと思う。


    爆弾専門は、正直いちばん怖い

    ランボーみたいな
    分かりやすい強さと違って、
    爆弾専門は種類が違う。

    • 静か
    • 計算ずく
    • 間違えたら全員終わり

    スペシャリストのスタローンは、
    暴れへん分、
    底知れない怖さがある。

    観ててスカッとするより、
    背中がゾワッとする感じ。


    派手じゃない。でも記憶に残る映画

    『スペシャリスト』は、
    万人向けの娯楽作ではない。

    • 空気が重い
    • 大人向け
    • 情熱と危うさが同居してる

    でもな、
    中学生のときに観て、
    大人になっても覚えてる時点で、
    もう十分すごい映画やと思う。


    結論:スタローンは「危険なプロ」が一番似合う

    筋肉だけの人やと思われがちやけど、
    実はスタローンの本領はここやと思う。

    • 無口
    • シリアス
    • その道のプロ

    『暗殺者』も
    『スペシャリスト』も、
    どっちも
    大人になってから味が出る映画

    そして最後にひと言。

    中学1年生で観る映画としては――
    だいぶ早かった(笑)

    でも、
    あのときの「気まずさ」込みで、
    忘れられへん一本やな。

    あのラストは、今でもはっきり覚えてる

    ――映画と音楽が完璧に噛み合った瞬間

    **スペシャリスト**のラスト、
    たぶんこの映画を覚えてる人の多くが、
    同じ場面を思い出すと思う。

    悪い大ボスを、
    容赦なくドカンと爆発させて――
    そこで交わされる、あの一言。

    スタローンが聞く。
    「気分は?」

    シャロン・ストーンが答える。
    「最高!」

    もうな、
    このやり取りだけで
    映画としては勝ちやと思う。


    爆発のあとに来る“解放感”

    爆弾専門の男が、
    すべてを終わらせたあと。

    重たかった空気が、
    一気にほどける。

    復讐も、
    怒りも、
    緊張も――
    全部、爆発と一緒に消える。

    そこからの
    オープンカーで二人並んで走るシーン

    これがまた、
    やりすぎなくらい映画的。


    エンディング曲が、完璧すぎた

    そして決定打が、
    エンディングで流れるあの曲。

    正直、
    曲名より先に
    **「鳥肌立った感覚」**のほうを覚えてる。

    • 映像
    • 余韻
    • 解放感
    • ちょっとの切なさ

    全部にピタッとハマってて、
    「ああ、映画ってこういうもんやったな」
    って思わされた。

    中学生の自分でも、
    はっきり分かった。

    これはええエンディングや、って。


    大人の映画やったからこそ、ラストが刺さる

    派手に終わらせてるのに、
    後味は意外と静か。

    • 勝利の歓声はない
    • 正義の演説もない
    • ただ、走っていくだけ

    それが逆に、
    大人の映画っぽい。

    「全部終わったから、
    もう振り返らんでええ」

    そんな空気が、
    あのラストにはあった。


    今思い出しても、ちゃんと鳥肌が立つ

    何十年も経って、
    細かい展開は忘れてても、

    • 「気分は?」
    • 「最高!」
    • 爆発
    • オープンカー
    • エンディング曲

    この流れだけは、
    今でも鮮明に残ってる。

    それって、
    映画として
    ちゃんと心に刻まれてる証拠やと思う。

    『スペシャリスト』は、
    完璧な名作ではないかもしれへん。

    でも、
    完璧なラストを持った映画や。

    あの瞬間の鳥肌は、
    たぶん一生忘れへん。

    ちなみにエンディング曲は、ジョン・バリー作曲の「The Specialist(End Title)」。
    爆発の爽快感と、その後に訪れる静かな解放感を、言葉なしで包み込む名エンディングやった。

  • 暗殺者はアクション映画じゃない

    ――プロ同士の掛け合いが一番おもしろい一本

    暗殺者
    主演は**シルベスター・スタローン
    そして対するのが、
    アントニオ・バンデラス**。

    この映画、
    ド派手な爆発や銃撃戦を期待して観ると、
    たぶん肩すかしを食らう。

    でもな、
    この映画のいちばんの見どころはそこちゃう。

    プロの暗殺者同士やからこそ成立する、
    会話と距離感

    そこが最高におもしろい。


    静かすぎるスタローンが、逆にかっこいい

    スタローン演じるロバート・ラスは、
    とにかく静か。

    • 余計なことを言わない
    • 感情を表に出さない
    • 仕事として人を消してきた男

    ランボーみたいな
    「暴れ倒す男」を想像してると、
    真逆すぎて戸惑うかもしれん。

    でもこの抑えた演技が、
    くぼんだ目と疲れた表情に
    異様にハマってる。

    「もう降りたい」
    「これ以上、殺したくない」

    そんな空気が、
    台詞なしでも伝わってくる。


    バンデラスの“うるささ”が映画を成立させてる

    一方のアントニオ・バンデラス。

    • よく喋る
    • 挑発する
    • 殺しをゲームみたいに楽しむ

    正直、
    めちゃくちゃウザい。

    でも、このウザさがなかったら、
    この映画はたぶん成立してへん。

    バンデラスが
    ペラペラ喋って絡んでくるほど、
    スタローンの無言の重みが際立つ。


    敵じゃない。「同業者」だから面白い

    この2人、
    正義と悪の対決ちゃう。

    どっちも

    • プロ
    • 仕事人
    • もう普通の人生には戻れない側

    だから会話の端々に、

    「どっちが上か」
    「どっちが本物か」

    そんなマウントの取り合いが見える。

    撃つより先に、
    精神的に潰しにかかる

    ここが、
    この映画いちばんの緊張感。


    アクションは控えめ。でも意味は重い

    暗殺者のアクションは、
    派手やけど多くはない。

    そのぶん、
    一つ一つが「仕事」として描かれる。

    • 無駄がない
    • 感情が乗らない
    • 終わったあとが虚しい

    観ててスカッとするより、
    「しんどいな……」って感情が残る。

    でもそれが、
    この映画の正解やと思う。


    ランボーとは真逆のスタローン像

    ランボーが
    「時代が生んだ暴れるヒーロー」やとしたら、

    暗殺者のスタローンは、
    時代に置いていかれた職業人や。

    • 強い
    • でも疲れてる
    • もう戦いたくない

    このスタローン、
    派手さはないけど
    めちゃくちゃ渋い。


    結論:これは通好みのスタローン映画

    『暗殺者』は、

    • 分かりやすい爽快感は少ない
    • 正義も希望も薄め
    • でも妙に記憶に残る

    そんな映画や。

    おもしろさの正体は、
    アクションやなくて
    プロ同士の会話と間

    スタローンとバンデラス、
    この2人の掛け合いを楽しめたら、
    間違いなく評価が変わる。

    これは
    「静かなスタローンが一番かっこよかった時代」
    の一本。

    派手さを期待せず、
    大人の気分で観るのがちょうどええ映画やと思う。

    若いやつがのし上がろうとする気持ち

    ――それがあるから「プロの世界」は成立する

    **暗殺者**を観てて、
    いちばん刺さったのはここかもしれへん。

    若いやつが、
    のし上がりたいと思う気持ち。

    自分には正直、
    もうそんな野心はない。
    でも、それがない世界はプロの世界ちゃう


    上にいる人間は、どうしても目障りになる

    この映画の若い暗殺者を見てると、
    気持ちは痛いほど分かる。

    • 実績がある
    • 技術もある
    • でももう古い

    そんな上の人間は、
    どうしても邪魔に見える。

    「早くどいてくれ」
    「自分が一番になりたい」

    それくらいの気持ちがなければ、
    トップには立てへん。


    笑顔で譲る人間は、必要とされない世界

    暗殺者の世界って、
    めちゃくちゃ残酷や。

    • 席は一つ
    • 代わりはいくらでもいる
    • 情けは弱さ

    ここでは
    「どうぞどうぞ」
    なんて言ってる人間は、
    一瞬で消される。

    この非情さが、
    逆にめちゃくちゃかっこよく見える


    ベテランと若手の対立は、どの業界でも同じ

    映画の話やけど、
    これってどの業界にもある構図やと思う。

    • 若い奴は前に出たい
    • 上の世代はまだ譲りたくない
    • 両方とも必死

    暗殺者という極端な世界を使って、
    この映画は
    世代交代の残酷さを描いてる。


    でも、現実は甘い人たちに囲まれて生きたい

    ただな、
    正直に言うと――

    こんな世界で
    生きたいかと言われたら、
    答えははっきりしてる。

    絶対イヤや。

    • 競争ばっかり
    • 誰も信用できへん
    • いつ足元すくわれるか分からん

    現実では、
    甘い人たちに囲まれて、
    ゆるく、
    笑って、
    幸せに生きたい。


    映画だからこそ、この世界はかっこいい

    暗殺者の世界は、
    現実やったら地獄や。

    でも映画やから、
    その非情さが
    「様式美」になる。

    • 野心
    • 対立
    • 容赦のなさ

    それを安全な距離で観られるから、
    「かっこいい」と思える。


    結論:憧れるけど、住みたくはない世界

    『暗殺者』が面白いのは、
    この矛盾をちゃんと描いてるからやと思う。

    • 若いやつの野心は正しい
    • 上の人間が邪魔に見えるのも自然
    • でもその世界は、幸せとは別

    だから観終わったあと、
    こう思える。

    「映画としては最高」
    「でも、現実では遠慮しとくわ(笑)」

    その距離感があるからこそ、
    この映画は
    大人になってから観ると、
    前より味が出る一本
    になるんやと思う。

  • ランボーは「強い男の映画」じゃなかった

    ――静かに生きたかった男の物語

    ランボー
    そして、シルベスター・スタローン

    まず言わせてほしい。
    いやいや……
    スタローン、かっこよすぎるやろ

    くぼんで少し垂れた目。
    高い鼻。
    小さめの唇。

    いかにも「作られたイケメン」ちゃうのに、
    圧倒的な存在感がある。
    これぞハリウッドスターって人。


    でも、ランボーはスカッとする映画ちゃう

    ランボーって聞くと、

    • 無双
    • 筋肉
      みたいなイメージが先に来る。

    けど、
    この1作目は全然ちゃう。

    戦争から帰ってきて、
    ただ静かに暮らしたいだけの男の話や。

    疲れてる。
    心も体も、もう限界。

    それやのに――
    彼を包み込むやさしさが、
    この世界にはまるで用意されてへん


    追い詰められていくランボーは、他人事やない

    警察に追い払われ、
    尊厳を奪われ、
    理解されない。

    そこで爆発してしまう。

    正直に言うと、
    観ててこう思った。

    自分があの立場やったら、
    たぶん同じことすると思う。

    ランボーは暴れたいわけやない。
    誰かを傷つけたいわけでもない。

    ただ、
    もうこれ以上、踏みにじられたくなかった


    戦争の悲惨さは描かれへん。でも、後遺症は重い

    この映画、
    戦争の直接的な地獄はほとんど映らへん。

    けど代わりに描かれるのは、
    軍人の「その後」

    • 帰る場所がない
    • 理解してくれる人がいない
    • 普通の生活に戻れない

    これが、ほんまにしんどい。

    「英雄」として扱われることもなく、
    「危険人物」として排除される。

    ほんま、
    誰が得すんねん、戦争


    ラストで全部ひっくり返される

    ランボーを
    「強い男の映画」と思って観たら、
    ラストで完全に裏切られる。

    あそこで見えるのは、
    筋肉でも銃でもない。

    壊れてしまった人間の叫びや。

    あのシーンがあるから、
    この映画はただのアクションにならへん。


    結論:これは反戦映画やと思う

    ランボーは、
    戦争をかっこよく描いてへん。

    むしろ、
    「終わったあとに残るもの」を突きつけてくる。

    静かに生きたかっただけの男が、
    静かに生きることを許されなかった話。

    だから観終わったあと、
    こう思ってしまう。

    戦争、やめようよ。

    ランボーは、
    筋肉映画やない。
    めちゃくちゃ優しくて、めちゃくちゃ悲しい映画や。

    それを、
    シルベスター・スタローンという
    唯一無二のスターが背負ってる。

    やっぱりこの人、
    ほんまにかっこええ。

    反戦映画のはずが、大ヒットしてしまった矛盾

    ランボーって、
    本来はめちゃくちゃ反戦寄り
    の映画やと思う。

    「もう戦ったらあかん」
    「戦争は人を壊す」
    そういうメッセージは、
    ちゃんと作品の芯にある。

    でもな――
    それでも映画は大ヒットして、
    シリーズは何本も続いた。

    理由は、はっきりしてる。

    シルベスター・スタローンが、
    かっこよすぎたから。


    悲しい話やのに、爽快感が勝ってしまった

    ランボーは、
    ほんまは追い詰められた男の悲劇や。

    でも画面に映るのは、

    • 無言で耐える姿
    • 一人で山に入る背中
    • 圧倒的な身体能力

    これがもう、
    どう見てもヒーローやった。

    観てる側はいつの間にか、

    「かわいそうやな」
    より先に
    「かっこええな」
    って感じてしまう。

    このメッセージと映像のズレが、
    ランボーという作品の最大の皮肉やと思う。


    「暴れ倒す男」が、時代に求められてた

    80年代って、
    こういう男がめちゃくちゃ求められてた時代やと思う。

    • 理屈言わへん
    • 黙って行動する
    • 一人で全部背負う

    暴れ倒す男。
    でも弱さも抱えてる。

    そんな存在が、
    当時の観客には
    最高にかっこよく映った

    だから反戦映画やのに、
    「スカッとする映画」として受け取られて、
    結果的にシリーズ化していった。


    令和の日本では、たぶん流行らへん

    今、令和の時代に
    ランボーみたいな男が出てきたらどうなるか。

    日本やと、
    たぶん間違いなくこう言われる。

    • 危ない
    • 話し合え
    • コンプラ的にアウト

    もう
    「暴れたら解決」
    なんて物語は、
    素直には受け取られへん。

    それが良い悪いは別として、
    時代は確実に変わった


    それでも、あの頃のランボーは眩しかった

    今の感覚で見ると、
    ランボーは危ういし、
    矛盾だらけの存在や。

    でも当時は、
    間違いなく輝いてた。

    • 強さ
    • 孤独
    • 不器用さ

    全部ひっくるめて、
    スターの説得力があった。

    だから反戦映画やのに、
    爽快で、
    記憶に残って、
    語り継がれる。

    ランボーが教えてくれるのは、
    戦争の愚かさと同時に、
    「時代がヒーローをどう作るか」
    その怖さと面白さなんかもしれへんな。

    今は流行らんかもしれん。
    でも、
    あの時代に生まれたランボーは、
    やっぱり忘れられへん存在や。

  • 霊幻道士3で「おもしろさが戻ってきた」と感じた理由

    **霊幻道士3**は、
    2でちょっと物足りなさを感じたあとに観ると、
    正直ホッとする。

    「あ、霊幻道士、戻ってきたな」
    そんな感覚がちゃんとある。

    決して1を超えたわけやない。
    でも霊幻道士らしさは、確実に取り戻してる。


    やっぱり時代背景は“あの頃”がいい

    霊幻道士シリーズって、
    時代がはっきり何年か分からへんのが逆にええ。

    • 電気も少ない
    • 夜が暗い
    • 情報がない

    この「昔の感じ」があるからこそ、
    キョンシーがちゃんと怖い。

    2みたいに現代に持ってくると、
    どうしても頭のどこかで思ってしまう。

    「その道具使ったらええやん」
    「今の技術なら対処できるやろ」

    そう思える時点で、
    もう恐怖が成立してへん


    キョンシーは“不便な時代”にこそ生きる存在

    キョンシーって、
    現代に出てきた瞬間に弱くなる存在やと思う。

    理由は単純で、
    現代には「選択肢」が多すぎる。

    • 明るい照明
    • 便利な道具
    • 逃げ場も多い

    でも霊幻道士3の世界は違う。

    夜は暗くて、
    道具は限られてて、
    逃げ場も少ない。

    だからこそ、
    お札・木剣・術が
    ちゃんと意味を持つ。


    霊幻道士3は“様式美”を思い出させてくれる

    霊幻道士3を観てて感じるのは、
    このシリーズの面白さって
    新しさやなくて
    様式美なんやな、ということ。

    • 静けさ
    • 突然動くキョンシー
    • 道士の登場

    この流れがあるだけで、
    自然とテンションが上がる。

    現代設定みたいな変化球より、
    「これこれ、この感じ」
    と思わせてくれるのが霊幻道士3。


    結論:キョンシーは現代に出したらあかん

    極端に言うと、
    キョンシーは
    現代に持ってきた時点で負けてる

    怖さの正体は、
    キョンシーそのものやなくて、
    時代背景と空気やから。

    霊幻道士3は、
    その原点をちゃんと理解してる。

    だから2で少し冷めかけた気持ちが、
    「あ、やっぱこのシリーズ好きやわ」
    に戻ってくる。

    完璧ではないけど、
    正しい方向に戻ってきた一本

    そういう立ち位置の作品やと思う。

    「帰ってきたで~」と思わせてくれる発想の勝利

    **霊幻道士3**を観てまず感じたのは、
    「そうそう、これやねん」という安心感。

    壺に霊が吸い込まれるとか、
    兄弟の幽霊キョンシーが出てくるとか、
    発想がちゃんと霊幻道士してる

    派手さで押すんやなくて、
    ちょっと不気味で、
    ちょっと可笑しくて、
    ちゃんと想像力を刺激してくる。

    まさに
    おもしろいキョンシー映画が帰ってきた
    って感じやった。


    人間とキョンシーは、仲良くできひん

    霊幻道士3でおもしろかったのが、
    このはっきりした価値観。

    人間とキョンシーは共存できない
    近づいた人間は、必ず不幸になる

    これ、めちゃくちゃ霊幻道士的やと思う。

    最近の作品やと、
    「分かり合えるかもしれない」
    「事情があった」
    みたいな方向に行きがちやけど、
    霊幻道士はそこを濁さへん。

    怖いものは怖い。
    越えたらあかん境界線はある。

    だからこそ、
    道士の役割がちゃんと意味を持つ。


    兄弟キョンシーという、切ないけど不気味な存在

    兄弟の幽霊キョンシーって設定も、
    ただのアイデア止まりじゃない。

    • 血のつながり
    • 未練

    そういう人間側の感情が見えるからこそ、
    余計に不気味になる。

    「かわいそう」
    と思った瞬間に、
    一線を越えたらあかん。

    この情を持たせてから突き放す感じが、
    霊幻道士シリーズの怖さやと思う。


    壺に霊を封じる――原始的やけど、めちゃくちゃ効く

    霊が壺に吸い込まれる描写も、
    今の感覚やとシンプルやけど、
    当時としては相当ワクワクした。

    • 何が起こるか分からん
    • 封じ込めるしかない
    • 失敗したら終わり

    この原始的な解決方法が、
    昔の時代背景とぴったり合ってる。

    便利な道具がないからこそ、
    術と知恵と度胸で勝負する。

    やっぱり霊幻道士は、
    この不便さがないと成立せえへん。


    「おもしろいキョンシー映画」を思い出させてくれる一本

    霊幻道士3は、
    完璧な傑作ではない。

    でも、

    • 発想が楽しい
    • 世界観が戻ってきた
    • キョンシーがちゃんと怖い

    この3つが揃ってるだけで、
    シリーズファンとしては十分うれしい。

    観終わったあとに、
    思わず出てくる言葉はこれやと思う。

    「帰ってきたで~」

    霊幻道士3は、
    肩の力を抜いて楽しめる、
    正統派のおもしろいキョンシー映画

    そんな一本やな。

  • 霊幻道士2をどうしても厳しく見てしまう理由

    ――1が完璧すぎたがゆえに

    **霊幻道士2**は、
    設定としてはちょっと変化球や。

    時代は一応「現代」。
    キョンシーはすでに過去の存在で、
    化石発掘みたいな感覚で掘り起こされる

    この発想自体はおもしろい。
    「迷信」「古いもの」として扱われていた存在が、
    実は本物やった、という流れは悪くない。

    これはこれで一本の娯楽作としては成立してると思う。

    でも――
    どうしても霊幻道士1と比べてしまう


    一番の物足りなさは、ラム・チェンインのアクション

    正直なところ、
    一番引っかかるのはここやと思う。

    **ラム・チェンイン**の
    アクションが、圧倒的に少ない。

    霊幻道士1では

    • 立ち回り
    • 体捌き
    • キョンシーとの間合い

    全部が見せ場やった。

    それが2では、
    どうしても動かない時間が増えてしまってる。

    道士としての存在感はある。
    でも「身体で語る」シーンが足りない。

    カンフー×道術の融合、
    あの唯一無二の気持ちよさが、
    ちょっと薄まってしまった感は否めへん。


    現代設定が、逆に足かせになった印象

    霊幻道士2の「現代設定」も、
    アイデアとしては理解できる。

    ただ――
    霊幻道士の世界観って、
    ・古い町並み
    ・薄暗い夜
    ・閉じた空間

    この空気込みで完成してたと思う。

    現代に持ってきたことで、
    どうしても
    「非日常感」「様式美」が弱くなってしまう。

    結果として、
    1の持っていた
    あの完璧な世界観が、
    余計に恋しくなる。

    これは2が悪いというより、
    1が出来すぎてたんやと思う。


    それでも、ユン・ピョウ登場は正直うれしい

    ただな、
    これだけは素直に言いたい。

    **ユン・ピョウ**が出てきてくれたのは、
    めちゃくちゃうれしかった。

    カンフーファンにとっては、
    それだけで一段テンションが上がる。

    • 動きのキレ
    • 軽さ
    • 身体能力の高さ

    やっぱり別格やな、と思わせてくれる。

    霊幻道士2は、
    「霊幻道士として」観ると物足りなさが出るけど、
    「香港カンフー映画の系譜」として観ると、
    ちゃんと楽しめる部分もある。


    結論:2が悪いんじゃない、1が奇跡すぎる

    最終的にはここに尽きる。

    霊幻道士2は決して駄作やない。
    発想もあるし、見どころもある。

    でも
    霊幻道士1があまりにも完璧すぎた

    テンポ、アクション、世界観、
    ラム・チェンインの道士像。

    全部が噛み合った奇跡の一本の後では、
    どうしても厳しく見てしまう。

    それでも――
    ユン・ピョウが動いてるだけで
    「観てよかった」と思わせるあたり、
    やっぱり香港映画は侮れへん。

    霊幻道士2は、
    そんなファン目線やからこそ語りたくなる一本やと思う。

    スローになる演出はおもしろい。でも、子ども心には少し残念やった

    **霊幻道士2**で印象に残ってるシーンのひとつが、
    薬品の影響で動きがスローになる場面。

    発想としてはおもしろいし、
    ギャグとしてもちゃんと成立してる。
    大人になってから観ると、
    「ああ、これはこういう遊び心やな」と分かる。

    でも正直に言うと――
    当時の子ども心では、ちょっと残念やった


    子どもが求めてたのは「速さ」と「キレ」

    あの頃、
    カンフー映画に何を求めてたかっていうと、
    もう答えはひとつやった。

    • 速い
    • 連続技
    • 何してるかわからんくらいのスピード

    それがとにかく
    めちゃくちゃかっこよかった

    だからこそ、
    スローになる演出を見たときに、

    「いや、今ちゃうやろ」
    「まだ速いカンフー見せてほしい」

    って、
    心のどこかで思ってしまった。


    ユン・ピョウには“全開のカンフー”を期待してしまう

    **ユン・ピョウ**が出てるとなったら、
    どうしても期待値は上がる。

    • 体の軽さ
    • 跳躍力
    • 流れるような連続技

    「いろんな技を繰り出すカンフー」
    それを全力で観たかった。

    だからスロー演出は、
    おもしろさより先に
    もったいなさが来てしまったんやと思う。


    あれは“大人向けの遊び”やったのかもしれない

    今あらためて考えると、
    あのスロー演出って、

    • 作品に変化をつける
    • 笑いを入れる
    • 子どもだけじゃなく大人も意識する

    そういう狙いがあったんやと思う。

    でも当時の自分は、
    そんなことどうでもよくて、

    「速いカンフーが観たい」
    「かっこいい技をもっと出してほしい」

    ただそれだけやった。


    だからこそ、霊幻道士1の完成度が際立つ

    結局ここに戻ってくる。

    **霊幻道士**には、
    スローで誤魔化す必要がなかった。

    速さ
    キレ
    間合い
    全部が揃ってた。

    だからこそ、
    2でのスロー演出が
    「工夫」に見える反面、
    「逃げ」にも見えてしまったのかもしれない。

    それは霊幻道士2が悪いんやなく、
    1があまりにも理想的なカンフー映画やったという話や。

    当時、
    画面にかじりついて
    「次どんな技出るんやろ」
    ってワクワクしてた子どもにとっては、
    やっぱり速さこそが正義やった。

    その感覚、
    今思い返しても、
    間違ってなかったと思う。

  • 霊幻道士はなぜ何度観ても飽きないのか

    ――無駄を削ぎ落とした「奇跡の一本」

    子どもの頃に観て、
    大人になってもふと観返してしまう映画がある。

    霊幻道士
    そして、道士役の**ラム・チェンイン**。

    正直に言うと、
    100回は言いすぎでも、それに近い回数は観ている。
    それでもまったく色あせない。

    その理由を、今回はちゃんと文章にして残しておきたい。


    テンポ・アクション・構成

    すべてにおいて「無駄がない」

    霊幻道士を観ていてまず感じるのは、
    とにかく間延びしないということ。

    • 説明で引き延ばさない
    • ギャグも一瞬
    • アクションも即決着

    「ここで少し溜めるやろ」という場面が、ほぼ存在しない。
    全部を動きとリズムで処理している。

    だから何度観てもテンポがいい。
    子どもの集中力でも、大人の目でも、
    同じスピード感で最後まで観られる。

    これはもう演出の勝利やと思う。


    ラム・チェンインの道士が、最高にかっこいい

    数あるキョンシー映画の中でも、
    やっぱり一番かっこいい道士はこの人や。

    派手なポーズも、過剰な演技もない。
    でも一挙手一投足に修行の積み重ねが見える。

    特に忘れられないのが、
    キョンシーを足の間に挟み、身体を回転させて倒すあの動き。

    • 力任せじゃない
    • 美しい
    • 一瞬で決まる

    完全にカンフーの身体操作なのに、
    それが「道士の術」として自然に成立している。

    あの一連の動きだけで、
    「この人は本物や」と子どもでも分かる。


    木剣と黄色い道服という完成形

    桃木剣を持った立ち姿。
    袖のさばき。
    そして、あの黄色い道服

    派手ではないのに、
    画面に立った瞬間、空気が締まる。

    スーパーヒーローみたいな誇張はない。
    でも確実に強いと分かる。

    この「余計なことをしないかっこよさ」が、
    霊幻道士という作品全体の美学そのものやと思う。


    キョンシー映画なのに、身体で覚えている

    霊幻道士は、
    ストーリーを細かく覚えていなくても観られる。

    • お札=止まる
    • 息を止める
    • 墨斗線
    • 桃木剣

    理屈じゃなく、感覚で分かっている世界

    だから何十年経っても、
    観始めた瞬間に身体が思い出す。

    これはもう
    「映画を観ている」というより、
    原体験を再生している感覚に近い。


    奇跡の一本は、偶然じゃない

    霊幻道士が名作なのは、
    懐かしさ補正だけじゃない。

    • 無駄を削ぎ落とした構成
    • 身体で語るアクション
    • 威厳のある主人公像

    すべてが高いレベルで噛み合っている。

    だからこそ、
    何度観ても飽きないし、
    何年経っても「やっぱりええな」と思える。

    霊幻道士は、
    子どもの頃に出会えて本当によかった映画や。

    そして今でも、
    ラム・チェンインの道士は
    間違いなく一番かっこいい。

    そう断言できる一本やと思う。

    道士だけじゃない。弟子たちが光ってるから完成してる

    霊幻道士が「奇跡の一本」になっている理由は、
    ラム・チェンイン演じる道士だけやない。

    弟子たちの存在が、とにかく絶妙や。

    少しドジで人間味のある弟子 ―― リッキー・ホイ

    まず忘れたらあかんのが、
    リッキー・ホイ

    この人が演じる、
    ちょっとドジで抜けてる弟子がほんまにハマってる。

    • 怖がる
    • 失敗する
    • 師匠に怒られる

    でも、ただの賑やかしじゃない。
    観てる側が感情移入する“窓口”みたいな存在やねん。

    子どもの頃は
    「自分がこの弟子やったらどうするやろ」
    って自然に重ねて観てた人、多いと思う。

    リッキー・ホイの動きって、
    決してキレキレではないけど、間がいい

    その“ちょっとズレた感じ”があるからこそ、
    師匠の凄さも、もう一人の弟子のかっこよさも引き立つ。


    もう一人の弟子が、とにかくスタイリッシュ

    そしてもう一人。
    この弟子の動き、今観てもほんまに惚れる。

    無駄がなくて、
    判断が早くて、
    とにかく「絵になる」。

    たとえば――
    キョンシーの目を剣で突こうとするシーン。

    普通なら
    正面から行くか、
    勢いで突くか、
    そのどっちかやろう。

    でもこの弟子は違う。

    わざわざ上にぶら下がって
    位置を取って、
    狙って、
    一瞬で決めに行く。

    この一手間が、
    めちゃくちゃかっこいい。

    「合理的やのに、無駄に見える」美学

    この動きって、
    実は合理的やのに、
    あえて回り道してるようにも見える。

    でもその回り道が、
    アクションとしては最高に美しい。

    • 上下の空間を使う
    • 体全体で流れを作る
    • カットが短いから冗長にならない

    これがあるから、
    霊幻道士のアクションは
    ただの退治シーンで終わらへん

    一つ一つが「見せ場」になってる。


    三人のバランスが完璧すぎる

    改めて思うけど、
    この三人の役割分担、ほんまに完成されてる。

    • 師匠:無駄のない本物の強さ
    • 弟子①:ドジで人間味(リッキー・ホイ)
    • 弟子②:洗練された動きと判断力

    誰か一人欠けてたら、
    ここまでの名作にはなってへんと思う。

    怖さ・笑い・かっこよさ、
    全部をこの三人で分担してる。

    だからテンポが落ちないし、
    どのシーンにも役割がある。


    霊幻道士は「チーム映画」でもある

    霊幻道士って、
    ついラム・チェンインの道士に目が行くけど、
    実はチーム全体が主役の映画やと思う。

    誰かが目立ちすぎず、
    誰かが埋もれもしない。

    そのバランスがあるから、
    何回観ても
    「このシーンええな」
    「ここも好きやな」
    って発見が残る。

    だから100回近く観ても、
    まだ語れる。

    霊幻道士は、
    ほんまにようできた映画や。