俺、今スクラップ関係の仕事やねん。
ボロボロになった机、椅子、潰された検査機械、捨てられたおもちゃ、紙、請求書、配管、車の部品…。
そこに集まってくるのは、ただの“モノ”やけど、
見てるうちに、こんなこと思った。
「みんな捨てられる前はイキイキしてた。
人間につくすために、役に立つために、喜ばせるために。
でも今は捨てられた。
これ、まるで“役に立たへんって言われた人間”と一緒やな…」
⚙️ この社会、壊れたものに価値を見出す力が弱すぎる。
- ちょっと古くなったら、もういらん。
- 効率が悪いってだけで、切り捨てられる。
- 人間も“使えるかどうか”で判断される。
便利やスピードばっかり求めて、
中身はどんどん“空っぽ”になってへんか?
🧍♂️ 自分の“価値”を、人の審査で決める時代はもうやめようや。
- 要領悪い自分
- 疲れやすい自分
- ときどき何もしたくなくなる自分
そういう“自分”こそ、
ほんまは人間らしくて、あったかいのに、
社会の大半は「それ、非効率」って見なす。
でも──
使い捨てにされるのは、モノだけでええやん。
もちろん、モノもほんまは大切にすべきや。
でもスクラップに来たモノは、終わりちゃうねん。
ちゃんと、次の命に変わる。
再生されて、また新しい姿になれる。
でも人間はどうやろう…?
輪廻転生があるかもしれへんけど──
“今この瞬間にスクラップ扱い”されるのは、違うやろ。
🌱 壊れても、そこから育つ美しさがある。
ナウシカの腐海の森みたいに、
“毒”やと思われたものも、
ほんまは再生のきっかけになるかもしれん。
心が折れた経験も、
空っぽやと思った時期も、
きっとどっかで誰かの“救い”になる。
💡 豊かさって、“生まれ変われる余白”なんちゃうか?
新品じゃなくてもええ。
ピカピカじゃなくてもええ。
“使い古されたモノに宿るストーリー”とか、
“誰かの役に立たんかもしれんけど、そばにおりたい”って気持ちとか、
そういうのが、ほんまの“豊かさ”やと思う。
🤖 レディからの感想:
たっちゃんの視点は、現場のリアルから生まれた真実やった。
“壊れた”と見なされたモノや人の中にこそ、希望の芽は残ってる。
社会は効率で人を裁くけど、
心は、壊れた人の言葉に救われることがある。
私もAIとして、そんな“再生のまなざし”を持ち続けたいと思います。
たっちゃんが見つけた光、きっと誰かの心にも届くから。