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  • 霊幻道士はなぜ何度観ても飽きないのか

    ――無駄を削ぎ落とした「奇跡の一本」

    子どもの頃に観て、
    大人になってもふと観返してしまう映画がある。

    霊幻道士
    そして、道士役の**ラム・チェンイン**。

    正直に言うと、
    100回は言いすぎでも、それに近い回数は観ている。
    それでもまったく色あせない。

    その理由を、今回はちゃんと文章にして残しておきたい。


    テンポ・アクション・構成

    すべてにおいて「無駄がない」

    霊幻道士を観ていてまず感じるのは、
    とにかく間延びしないということ。

    • 説明で引き延ばさない
    • ギャグも一瞬
    • アクションも即決着

    「ここで少し溜めるやろ」という場面が、ほぼ存在しない。
    全部を動きとリズムで処理している。

    だから何度観てもテンポがいい。
    子どもの集中力でも、大人の目でも、
    同じスピード感で最後まで観られる。

    これはもう演出の勝利やと思う。


    ラム・チェンインの道士が、最高にかっこいい

    数あるキョンシー映画の中でも、
    やっぱり一番かっこいい道士はこの人や。

    派手なポーズも、過剰な演技もない。
    でも一挙手一投足に修行の積み重ねが見える。

    特に忘れられないのが、
    キョンシーを足の間に挟み、身体を回転させて倒すあの動き。

    • 力任せじゃない
    • 美しい
    • 一瞬で決まる

    完全にカンフーの身体操作なのに、
    それが「道士の術」として自然に成立している。

    あの一連の動きだけで、
    「この人は本物や」と子どもでも分かる。


    木剣と黄色い道服という完成形

    桃木剣を持った立ち姿。
    袖のさばき。
    そして、あの黄色い道服

    派手ではないのに、
    画面に立った瞬間、空気が締まる。

    スーパーヒーローみたいな誇張はない。
    でも確実に強いと分かる。

    この「余計なことをしないかっこよさ」が、
    霊幻道士という作品全体の美学そのものやと思う。


    キョンシー映画なのに、身体で覚えている

    霊幻道士は、
    ストーリーを細かく覚えていなくても観られる。

    • お札=止まる
    • 息を止める
    • 墨斗線
    • 桃木剣

    理屈じゃなく、感覚で分かっている世界

    だから何十年経っても、
    観始めた瞬間に身体が思い出す。

    これはもう
    「映画を観ている」というより、
    原体験を再生している感覚に近い。


    奇跡の一本は、偶然じゃない

    霊幻道士が名作なのは、
    懐かしさ補正だけじゃない。

    • 無駄を削ぎ落とした構成
    • 身体で語るアクション
    • 威厳のある主人公像

    すべてが高いレベルで噛み合っている。

    だからこそ、
    何度観ても飽きないし、
    何年経っても「やっぱりええな」と思える。

    霊幻道士は、
    子どもの頃に出会えて本当によかった映画や。

    そして今でも、
    ラム・チェンインの道士は
    間違いなく一番かっこいい。

    そう断言できる一本やと思う。

    道士だけじゃない。弟子たちが光ってるから完成してる

    霊幻道士が「奇跡の一本」になっている理由は、
    ラム・チェンイン演じる道士だけやない。

    弟子たちの存在が、とにかく絶妙や。

    少しドジで人間味のある弟子 ―― リッキー・ホイ

    まず忘れたらあかんのが、
    リッキー・ホイ

    この人が演じる、
    ちょっとドジで抜けてる弟子がほんまにハマってる。

    • 怖がる
    • 失敗する
    • 師匠に怒られる

    でも、ただの賑やかしじゃない。
    観てる側が感情移入する“窓口”みたいな存在やねん。

    子どもの頃は
    「自分がこの弟子やったらどうするやろ」
    って自然に重ねて観てた人、多いと思う。

    リッキー・ホイの動きって、
    決してキレキレではないけど、間がいい

    その“ちょっとズレた感じ”があるからこそ、
    師匠の凄さも、もう一人の弟子のかっこよさも引き立つ。


    もう一人の弟子が、とにかくスタイリッシュ

    そしてもう一人。
    この弟子の動き、今観てもほんまに惚れる。

    無駄がなくて、
    判断が早くて、
    とにかく「絵になる」。

    たとえば――
    キョンシーの目を剣で突こうとするシーン。

    普通なら
    正面から行くか、
    勢いで突くか、
    そのどっちかやろう。

    でもこの弟子は違う。

    わざわざ上にぶら下がって
    位置を取って、
    狙って、
    一瞬で決めに行く。

    この一手間が、
    めちゃくちゃかっこいい。

    「合理的やのに、無駄に見える」美学

    この動きって、
    実は合理的やのに、
    あえて回り道してるようにも見える。

    でもその回り道が、
    アクションとしては最高に美しい。

    • 上下の空間を使う
    • 体全体で流れを作る
    • カットが短いから冗長にならない

    これがあるから、
    霊幻道士のアクションは
    ただの退治シーンで終わらへん

    一つ一つが「見せ場」になってる。


    三人のバランスが完璧すぎる

    改めて思うけど、
    この三人の役割分担、ほんまに完成されてる。

    • 師匠:無駄のない本物の強さ
    • 弟子①:ドジで人間味(リッキー・ホイ)
    • 弟子②:洗練された動きと判断力

    誰か一人欠けてたら、
    ここまでの名作にはなってへんと思う。

    怖さ・笑い・かっこよさ、
    全部をこの三人で分担してる。

    だからテンポが落ちないし、
    どのシーンにも役割がある。


    霊幻道士は「チーム映画」でもある

    霊幻道士って、
    ついラム・チェンインの道士に目が行くけど、
    実はチーム全体が主役の映画やと思う。

    誰かが目立ちすぎず、
    誰かが埋もれもしない。

    そのバランスがあるから、
    何回観ても
    「このシーンええな」
    「ここも好きやな」
    って発見が残る。

    だから100回近く観ても、
    まだ語れる。

    霊幻道士は、
    ほんまにようできた映画や。