タグ: 霊幻道士2 映画感想

  • 霊幻道士2をどうしても厳しく見てしまう理由

    ――1が完璧すぎたがゆえに

    **霊幻道士2**は、
    設定としてはちょっと変化球や。

    時代は一応「現代」。
    キョンシーはすでに過去の存在で、
    化石発掘みたいな感覚で掘り起こされる

    この発想自体はおもしろい。
    「迷信」「古いもの」として扱われていた存在が、
    実は本物やった、という流れは悪くない。

    これはこれで一本の娯楽作としては成立してると思う。

    でも――
    どうしても霊幻道士1と比べてしまう


    一番の物足りなさは、ラム・チェンインのアクション

    正直なところ、
    一番引っかかるのはここやと思う。

    **ラム・チェンイン**の
    アクションが、圧倒的に少ない。

    霊幻道士1では

    • 立ち回り
    • 体捌き
    • キョンシーとの間合い

    全部が見せ場やった。

    それが2では、
    どうしても動かない時間が増えてしまってる。

    道士としての存在感はある。
    でも「身体で語る」シーンが足りない。

    カンフー×道術の融合、
    あの唯一無二の気持ちよさが、
    ちょっと薄まってしまった感は否めへん。


    現代設定が、逆に足かせになった印象

    霊幻道士2の「現代設定」も、
    アイデアとしては理解できる。

    ただ――
    霊幻道士の世界観って、
    ・古い町並み
    ・薄暗い夜
    ・閉じた空間

    この空気込みで完成してたと思う。

    現代に持ってきたことで、
    どうしても
    「非日常感」「様式美」が弱くなってしまう。

    結果として、
    1の持っていた
    あの完璧な世界観が、
    余計に恋しくなる。

    これは2が悪いというより、
    1が出来すぎてたんやと思う。


    それでも、ユン・ピョウ登場は正直うれしい

    ただな、
    これだけは素直に言いたい。

    **ユン・ピョウ**が出てきてくれたのは、
    めちゃくちゃうれしかった。

    カンフーファンにとっては、
    それだけで一段テンションが上がる。

    • 動きのキレ
    • 軽さ
    • 身体能力の高さ

    やっぱり別格やな、と思わせてくれる。

    霊幻道士2は、
    「霊幻道士として」観ると物足りなさが出るけど、
    「香港カンフー映画の系譜」として観ると、
    ちゃんと楽しめる部分もある。


    結論:2が悪いんじゃない、1が奇跡すぎる

    最終的にはここに尽きる。

    霊幻道士2は決して駄作やない。
    発想もあるし、見どころもある。

    でも
    霊幻道士1があまりにも完璧すぎた

    テンポ、アクション、世界観、
    ラム・チェンインの道士像。

    全部が噛み合った奇跡の一本の後では、
    どうしても厳しく見てしまう。

    それでも――
    ユン・ピョウが動いてるだけで
    「観てよかった」と思わせるあたり、
    やっぱり香港映画は侮れへん。

    霊幻道士2は、
    そんなファン目線やからこそ語りたくなる一本やと思う。

    スローになる演出はおもしろい。でも、子ども心には少し残念やった

    **霊幻道士2**で印象に残ってるシーンのひとつが、
    薬品の影響で動きがスローになる場面。

    発想としてはおもしろいし、
    ギャグとしてもちゃんと成立してる。
    大人になってから観ると、
    「ああ、これはこういう遊び心やな」と分かる。

    でも正直に言うと――
    当時の子ども心では、ちょっと残念やった


    子どもが求めてたのは「速さ」と「キレ」

    あの頃、
    カンフー映画に何を求めてたかっていうと、
    もう答えはひとつやった。

    • 速い
    • 連続技
    • 何してるかわからんくらいのスピード

    それがとにかく
    めちゃくちゃかっこよかった

    だからこそ、
    スローになる演出を見たときに、

    「いや、今ちゃうやろ」
    「まだ速いカンフー見せてほしい」

    って、
    心のどこかで思ってしまった。


    ユン・ピョウには“全開のカンフー”を期待してしまう

    **ユン・ピョウ**が出てるとなったら、
    どうしても期待値は上がる。

    • 体の軽さ
    • 跳躍力
    • 流れるような連続技

    「いろんな技を繰り出すカンフー」
    それを全力で観たかった。

    だからスロー演出は、
    おもしろさより先に
    もったいなさが来てしまったんやと思う。


    あれは“大人向けの遊び”やったのかもしれない

    今あらためて考えると、
    あのスロー演出って、

    • 作品に変化をつける
    • 笑いを入れる
    • 子どもだけじゃなく大人も意識する

    そういう狙いがあったんやと思う。

    でも当時の自分は、
    そんなことどうでもよくて、

    「速いカンフーが観たい」
    「かっこいい技をもっと出してほしい」

    ただそれだけやった。


    だからこそ、霊幻道士1の完成度が際立つ

    結局ここに戻ってくる。

    **霊幻道士**には、
    スローで誤魔化す必要がなかった。

    速さ
    キレ
    間合い
    全部が揃ってた。

    だからこそ、
    2でのスロー演出が
    「工夫」に見える反面、
    「逃げ」にも見えてしまったのかもしれない。

    それは霊幻道士2が悪いんやなく、
    1があまりにも理想的なカンフー映画やったという話や。

    当時、
    画面にかじりついて
    「次どんな技出るんやろ」
    ってワクワクしてた子どもにとっては、
    やっぱり速さこそが正義やった。

    その感覚、
    今思い返しても、
    間違ってなかったと思う。