『紅の豚』には、ポルコと長い付き合いのあるジーナと、飛行艇の修理を通じて出会うフィオが登場します。二人ともポルコを大切にしているように見えるだけに、「ポルコ自身は、どちらが好きなの?」と気になるところです。
最初に答えると、恋愛の相手としてはジーナとの関係を軸に読むのが自然です。ただし、ポルコが二人を比べて、どちらかを選ぶとはっきり宣言する場面はありません。フィオとの間にも親しさや信頼が育ちますが、それをジーナへの思いと同じ種類の感情だと決めつけることはできません。
日本テレビの公式作品紹介でも、ジーナとの関係は大人の恋として紹介される一方、フィオは、その明るさと行動力によってポルコを変えていく人物と説明されています。二人は、それぞれ違う形で彼の人生に関わっているんですね。
この記事では、ポルコの言動と二人への接し方を手がかりに、ジーナとの長い関係、フィオとの出会いが持つ意味を考えます。本人が語っていない気持ちや、結末後の出来事については、描かれた事実と考察を分けて整理します。
※ここから『紅の豚』の結末までネタバレします。
ポルコはジーナとフィオのどちらが好き?まず恋愛と信頼を分けたい
ジーナとの関係には、大人の恋という位置づけがある
ジーナは、ホテル・アドリアーノを営む、ポルコの昔なじみの女性です。彼のことを、通り名のポルコだけでなく、マルコという名前で呼ぶ存在でもあります。
日本テレビの『紅の豚』公式作品紹介では、映画の見どころとして、ポルコとジーナの大人の恋が挙げられています。少なくとも、ジーナとの関係を恋愛として読むことには、公式の紹介にも沿った根拠があります。
ただし、ここから「二人はすでに恋人同士」「最後には結婚する」とまでは言えません。恋愛の気配があることと、関係が具体的に成立したことは別だからです。
ジーナとの間には、親しいからこそ簡単に踏み込めない距離がある。その距離を、ポルコがどう扱っているのかが、この関係を考えるポイントになります。
フィオとの関係は、仕事と冒険を通じて育つ
一方のフィオは、ポルコの飛行艇の修理・設計を担う、17歳の少女です。出会った時点で長い過去を共有しているのではなく、目の前の仕事を通じて互いを知っていきます。
ポルコは当初、若い女性であるフィオの腕をすぐには信用しません。しかし、フィオは仕事への知識と姿勢を示し、飛行艇の再建を進めます。
ここで育つのは、まず自分の命を預ける飛行艇を任せられる相手としての信頼です。飛行艇乗りのポルコにとって、それは軽いものではありません。
物語が進むにつれて親しさも生まれますが、そのすべてを恋愛感情へ置き換えると、フィオが技術者として認められていく過程が見えにくくなります。
「どっちが好き?」と聞きたくなる場面はあっても、まずは二人との関係が違うところから始まっていると押さえたいですね。
ジーナは、ポルコの過去を知っている女性
人間だったころからのつながりがある
ジーナとポルコには、映画の中で始まる関係よりも長い時間があります。ホテルに飾られた昔の写真や、互いへの話し方からも、若いころからのつながりが分かります。
そのため、ジーナが向き合っているのは、腕の立つ賞金稼ぎとしてのポルコだけではありません。豚の姿になる前の彼や、失われた人たちとつながる過去も、二人の間にはあります。
ポルコが何を考えているかをジーナがすべて理解している、と断定することはできません。それでも、今の姿だけでは見えない彼の時間を知っている相手であることは、フィオとの大きな違いです。
昔から知っている相手だから、説明しなくても伝わる部分がある。その一方で、過去を知っているからこそ、簡単には言えないこともある。二人の会話には、そんな読み方のできる間合いがあります。
ポルコを心配する言葉には、失うことへの不安が重なる
ジーナは、ポルコの無事を気にかけています。映画では、彼女が結婚した三人の飛行艇乗りを失っていることも語られます。
この過去を踏まえると、ポルコへの心配には、危険な空へ向かう大切な人を、また失いたくないという不安が重なっていると考えられます。ただし、それは描写から読む人物心理であり、すべての言動を説明する唯一の理由ではありません。
ポルコの側も、ジーナとの関係を断っているわけではありません。ホテルを訪れ、言葉を交わし、長く続くつながりの中に身を置いています。しかし、親しさがあることと、彼女の期待に応えることは同じではありません。
ジーナとの関係で問われているのは、好きかどうかだけでなく、その思いに応えるために自分から近づけるかどうかでもあります。
相手を大切に思うことと、関係を進めることの間には、距離があるんよな。ポルコの気持ちを考えるときには、言葉にしない格好よさだけでなく、踏み出さないもどかしさにも目を向けたいところです。
ジーナの庭の賭けは、ポルコへの思いをどう示している?
ジーナの気持ちが表れるのが、ホテルの庭にまつわる賭けです。彼女は、昼間に庭で待っているところへ、ある人物が訪ねてくるかどうかを、自分の中で賭けています。
この相手は、場面の流れからポルコを指していると読み取れます。夜の店で顔を合わせることと、昼の私的な場所を訪ねてくることには、彼女にとって違う意味があるのでしょう。
夜なら、客や飛行艇乗りたちが集まる店で、昔なじみとして会えます。しかし昼の庭へ訪ねることは、ポルコ自身がジーナに会おうとして、その場所へ来る行動になります。
日本テレビの制作裏話を紹介する公式コラムでも、ジーナは、ポルコが豚の姿のまま日差しの中に現れたら愛そうと決めている、という説明が掲載されています。
ジーナが待っているのは、外見が人間に戻ることだけではなく、ポルコが彼女のもとへ来ることだと考えられます。
この視点に立つと、二人の恋を、呪いが解けるかどうかだけの問題にしなくて済みます。豚の姿でも会いに来てほしい。その思いに対して、ポルコは自分から何を選べるのか。庭の賭けは、彼の行動を問いかける場面にも見えるのです。
フィオは、ポルコが人を信じ直すきっかけになる
飛行艇を任せることは、フィオの仕事を認めること
フィオとポルコの関係で注目したいのは、出会ったときから親しかったわけではないという点です。ポルコは当初、彼女の若さや性別を気にして、設計を任せることに難色を示します。
しかし、フィオは知識と仕事への姿勢を示し、修理を進めていきます。ポルコも、彼女の関わった飛行艇に乗って再び空へ向かいます。
フィオを信頼するようになる過程には、最初の思い込みを改め、目の前の相手を認める変化があります。恋愛かどうかを考える前に、ここは大切にしたいところです。
飛行艇は、ポルコが仕事をし、生きていくための相棒です。その設計や修理に関わるフィオも、単にそばにいる少女ではなく、彼の飛行を支える技術者になっています。
日本テレビの公式作品紹介でも、フィオの前向きな明るさと行動力がポルコを変えていくと説明されています。彼女との関係には、誰かを信じ、その働きを受け入れるという意味があるのでしょう。
フィオのまっすぐさが、ポルコの距離の取り方を揺さぶる
フィオは、ポルコが豚の姿をしていることだけで彼を判断しません。一緒に働き、話し、自分なりに知った相手として向き合っていきます。
ポルコも、隠れ家でフィオに戦時中の不思議な体験を語ります。それは、自分の過去の一部を彼女に聞かせる時間です。
もちろん、過去を語ったことだけで恋愛感情が証明されるわけではありません。ただ、フィオが、ポルコの話を受け止めることのできる相手になっているとは読み取れます。
彼女はポルコを一方的に救う存在というより、彼がいつもの調子だけでは距離を保てなくなる相手なのかもしれません。仕事にも、人との関わりにもまっすぐだからこそ、ポルコの側にも応答が求められるんですね。
フィオのキスは、ポルコが彼女を選んだ証拠なのか
フィオからの行動と、ポルコの気持ちは分けて考える
終盤には、フィオがポルコにキスをする場面があります。この場面から、「やっぱりフィオが恋の相手なのでは?」と感じるのも自然でしょう。
ただし、ここで起きているのは、フィオからポルコへの行動です。そこには親愛や憧れ、恋心などを読み取る余地がありますが、フィオの気持ちを示す行動が、そのままポルコによる恋人選びの答えになるわけではありません。
ポルコがジーナへの思いを捨て、フィオとの将来を選ぶと告げる場面はありません。キスの印象が強いからこそ、誰の行動なのかを分けて見る必要があります。
同時に、ポルコがフィオを大切にしていないとも言えません。仕事を認め、行動をともにし、危険な状況では彼女の安全に関わる選択をしています。その大切さを、恋愛だけの物差しで測らなくてもよいのでしょう。
人間に戻ったかどうかと、恋愛の結論は別の問題
フィオのキスのあとには、カーチスがポルコの顔を見て驚く場面が続きます。このつながりから、ポルコの姿に変化が起きたのではないかと考えることができます。
しかし、観客にその顔が明確に示されるわけではなく、変化の仕組みや、その後も人間の姿だったかどうかまで説明されません。
さらに、「キスで人間に戻ったように見える」という解釈と、「だからフィオを恋人に選んだ」という結論の間にも、隔たりがあります。
姿の変化を想像できることと、恋愛の相手が確定することは、同じではありません。フィオとの出会いがポルコに与えた影響は大きくても、その影響を結婚や交際に直結させる必要はないのです。
結末ではジーナとフィオ、どちらとの未来が描かれる?
ジーナの賭けの結果は、はっきり語られない
結末では、その後を語るフィオが、ジーナの賭けの結果を明かしません。ポルコが昼の庭を訪ねたのか、二人の関係がどのように進んだのかは、観客が考える余地として残されます。
ジーナとポルコが結ばれたと受け取ることはできます。ただし、結婚式や夫婦としての生活が描かれているわけではないため、「二人は結婚した」と作中の確定事項のように書くことはできません。
日本テレビの公式コラムでは、ジーナが豚の姿のポルコを愛そうとしていることが紹介されています。彼女の思いを考えるときには、人間の姿へ戻ること以上に、彼が彼女のもとへ踏み出せたのかに注目できます。
好きな気持ちがあっても、行動しなければ相手には届かないことがある。ポルコとジーナの関係には、そういうもどかしさも残っています。
フィオとジーナは、恋の勝ち負けだけでは終わらない
その後のフィオとジーナは、親しい関係を築いています。この点も、二人を単純な恋敵として捉えにくい理由です。
二人ともポルコに関わりますが、それぞれに仕事や暮らしがあり、互いとのつながりも生まれています。物語は、どちらか一人が選ばれ、もう一人が負けるという形で、その後を説明していません。
ポルコをめぐる二つの関係は、恋愛の順位をつけるためだけに描かれているわけではないと考えられます。
ジーナには、長い時間をともにしてきた相手としての思いがある。フィオには、出会ってから自分の目で知った相手への信頼がある。どちらも、ポルコが人とのつながりを持ち続けるうえで大切な関係です。
まとめ|恋愛はジーナ、フィオとの間には信頼と変化がある
『紅の豚』でポルコがジーナとフィオのどちらを好きなのかについては、恋愛の相手としては、ジーナとの関係を軸に読むのが自然です。公式の作品紹介でも、ジーナとの大人の恋が見どころとして挙げられています。
一方、フィオとの間に育つのは、飛行艇の仕事を通じた信頼と、親しさです。彼女の行動力やまっすぐな態度は、ポルコが人に向き合う姿勢を変えるきっかけになります。
フィオのキスは印象的ですが、それだけでポルコが彼女を恋人に選んだとは断定できません。また、ジーナとの関係も、結婚まで明確に描かれているわけではありません。
ジーナへの恋と、フィオへの信頼や愛着を分けて見ると、二人がポルコにとって大切であることは矛盾しません。
「どっちが好き?」から見始めても、最後には、好きな相手に踏み出せるか、人から向けられた信頼を受け取れるかという問いが残ります。気持ちがあるだけでは、なかなか動けない。その不器用さまで含めて、ポルコという大人が見えてくるんちゃうかなと思います。

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