『ハウルの動く城』には原作小説があります。ただ、映画の物語をそのまま詳しく書いた本だと思って読むと、登場人物や展開の違いに驚くかもしれません。
原作は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』です。ソフィーが老婆になることや、ハウルの城で暮らすという出発点は共通していますが、人物設定や物語の進み方には大きな違いがあります。
特に押さえたいのは、ソフィーの家族、ハウルの弟子、戦争の扱い、そして魔法をめぐる設定です。同じ名前が登場しても、映画と同じ役割とは限りません。
この記事では、原作と映画の共通点を確認したうえで、どこが違うのかを整理します。原作の設定を、そのまま映画の隠された正解として扱わないことも大切にしながら見ていきましょう。
※ここから映画の結末と、原作小説の人物設定・展開に触れます。
『ハウルの動く城』の原作は『魔法使いハウルと火の悪魔』
映画の原作となったのは、イギリスの作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズによるファンタジー小説です。日本語版は西村醇子訳で、徳間書店から刊行されています。
徳間書店の書籍紹介でも、『ハウルの動く城1 魔法使いハウルと火の悪魔』が宮﨑駿監督作品の原作であることを確認できます。
出典:徳間書店『ハウルの動く城1 魔法使いハウルと火の悪魔』
一方、映画は宮﨑駿監督が脚本と監督を担当した作品です。原作者と映画の脚本・監督は別であり、小説を映像へ移す過程で物語が組み直されています。
原作小説と、映画をもとにした絵本やフィルムコミックも区別しておきましょう。原作ならではの人物や展開を知りたい場合は、著者がダイアナ・ウィン・ジョーンズとなっている小説を確認すると分かりやすいです。
物語の入口と、中心になる関係は共通している
原作でも映画でも、帽子屋で働くソフィーは荒地の魔女の呪いによって老婆の姿に変えられ、家を出ます。そしてハウルの城に入り、火の悪魔カルシファーと関わるようになります。
そのため、まったく無関係な物語に同じ題名をつけたわけではありません。ソフィー、ハウル、カルシファーの関係は、どちらの作品でも重要です。
違いが大きくなるのは、そこから先です。城の住人がどんな人物なのか、誰が何を隠しているのか、何が解決すべき問題なのか。物語が進むほど、映画とは別の組み合わせが見えてきます。
原作と映画の違いを先に整理
まずは、人物と物語の違いを簡単に確認しておきましょう。
| 比較する点 | 原作小説 | 映画 |
|---|---|---|
| ソフィーの姉妹 | レティーとマーサという二人の妹がいる | 妹として描かれるのはレティー |
| ハウルの弟子 | 少年マイケル | 幼い少年マルクル |
| 物語の展開 | 呪い、人物の秘密、魔女との対立が絡み合う | 恋愛と共同生活に、戦争の展開が大きく重なる |
| 設定の読み方 | 小説の中で説明される情報がある | 同じ設定が採用されているとは限らない |
この表は、どちらが優れているかを決めるためのものではありません。同じ人物や場面でも、周囲の関係が変われば意味合いも変わる。その違いを見つけるための入口です。
違い① 原作のソフィーは三姉妹の長女
原作のソフィーには、レティーとマーサという二人の妹がいます。映画ではレティーが登場しますが、原作のような三姉妹をめぐる筋立ては描かれていません。
原作の冒頭では、三姉妹の長女という立場が、ソフィー自身の将来の捉え方に関わります。物語の世界にあるおとぎ話的な決まりを、自分の人生にも当てはめてしまっているのです。
原作冒頭の設定は、出版社の紹介文と、小説の公開抜粋で確認できます。
出典:HarperCollins刊『Howl’s Moving Castle』書籍紹介(Google Books)/BookBrowse掲載『Howl’s Moving Castle』原作抜粋
映画のソフィーにも、自分の望みを後回しにし、帽子屋で働く姿があります。ただし、原作の長女をめぐる考え方を、そのまま映画の明示された設定として説明することはできません。
原作では姉妹関係や世界の決まりが背景になり、映画では表情や言動を通して、ソフィーの自己評価を読み取る余地がある。そう分けると、共通点と違いの両方を捉えやすくなります。
「自分の役割」が、そのまま人生の限界になってしまう
ここからは考察ですが、原作の長女という設定は、ソフィーが自分の可能性を狭く考える理由を、はっきりした形で示しているように読めます。
自分はこういう立場だから、これくらいの人生になる。そう思っていると、まだ起きていないことまで先に諦めてしまうかもしれません。
そのソフィーが、老婆の姿になったことで家の外へ出る。普通なら可能性が減ったと思いそうな変化が、逆に行動の始まりになるところが興味深いです。
「もう何も失うものがない」と思えたときに、ようやく動けることもあるんやろな。ただ、若さを失えば自由になるという単純な話ではなく、自分に課していた制限が揺らぐ物語として考えたいところです。
違い② マルクルにあたる原作の弟子はマイケル
映画でハウルの弟子として登場するのは、幼い少年マルクルです。一方、原作ではマイケルという少年が、その立場にいます。
ジブリ美術館の公式オンラインショップによる原作紹介でも、城の住人として「見習い少年マイケル」が紹介されています。
出典:三鷹の森ジブリ美術館オンラインショップ『魔法使いハウルと火の悪魔』
ここでの違いは名前だけではありません。原作のマイケルは、映画のマルクルより年長の少年として描かれ、ソフィーの妹たちに関わる筋にもつながっています。
映画では、マルクルの幼さによって、ソフィーが城の暮らしを支える存在になっていく様子や、家族のような関係が印象に残りやすくなっています。
原作の弟子と映画の弟子は、対応する人物ではあっても、同じ経歴や人間関係をそのまま持つ人物ではありません。原作での出来事をマルクルの過去として説明すると、設定が混ざってしまいます。
こうした人物の変更は、ほかの登場人物にもあります。さらに、映画で大きな位置を占める戦争に注目すると、二つの作品の進む方向の違いが、よりはっきりしてきます。
違い③ 映画では戦争が物語の大きな軸になっている
原作と映画の違いとして、特に目立つのが戦争の扱いです。
原作にも国同士の緊張や王室に関わる問題はありますが、映画のように空襲や街の炎上が物語の大きな流れになるわけではありません。そのため、「原作には戦争に関する話が一切ない」と説明するのも正確ではありません。
原作では、行方不明者の捜索や魔女との対立、さまざまな人物にかけられた魔法が絡み合い、秘密がつながっていきます。一方、映画では戦火が城の暮らしに迫り、ハウルが何を守るのかが大きな問題になります。
同じように王宮からの要求を嫌がるハウルでも、その要求の内容や、行動を取り巻く状況が違うのです。
映画のハウルは、戦争の中で自分を失う危険に直面する
映画のハウルは鳥のような姿に変身し、傷ついて帰ってきます。変身を繰り返すことで、人間の姿に戻れなくなる危険も示されます。
ここでは、強い魔法を持っていることが、そのまま安全や幸福につながっていません。誰かを守るために力を使うほど、自分自身が危うくなっていきます。
宮﨑駿監督は、スタジオジブリが公開している『熱風』の特集で、本作を「反戦というか、厭戦」と表現しています。映画の戦争描写を考えるうえで、確認しておきたい本人の発言です。
出典:スタジオジブリ公開資料『熱風』2013年7月号・特集「憲法改正」(PDF)
この言葉を踏まえると、映画のハウルの戦いは、強さを見せつけるだけの活躍としては捉えにくくなります。戦える力を持つ人まで傷ついてしまうことが、物語の重さになっていると考えられます。
違い④ 原作ではハウルの素性と世界の広がりが描かれる
映画のハウルには、私生活を見せているようで、まだ分からない部分が残っています。名前を使い分け、王宮を避け、城の扉から別の場所へ出入りする。その不思議さも人物の魅力です。
原作では、ハウルの本名がハウエル・ジェンキンスであることや、現代のウェールズにつながる背景が描かれます。映画にはない、彼の出自や家族に関わる世界があるのです。
徳間書店児童書編集部が公開する紹介記事でも、本名の設定や、現代とおとぎの国を行き来する原作の特徴が紹介されています。
出典:徳間書店児童書編集部「型にはまらない自由な世界/『魔法使いハウルと火の悪魔』」
ただし、原作で明かされる素性を、そのまま映画のハウルの確定した経歴にはできません。映画の扉の向こうにも同じ家族や世界があると、作品内で説明されているわけではないからです。
原作を読むと、映画で分からなかったことがすべて解決するというより、同じハウルという人物から、別の世界へ道が広がっていくと捉えるほうが自然でしょう。
違い⑤ 荒地の魔女の役割と、終盤の展開が異なる
荒地の魔女は、どちらの作品でもソフィーに呪いをかける重要な人物です。しかし、その後に担う役割は大きく変わります。
映画では、王宮で力を奪われたあと、ソフィーたちと暮らすようになります。ハウルの心臓への執着を残しながらも、終盤にはソフィーに心臓を渡します。
一方、原作の荒地の魔女は、映画と同じように力を失って共同生活へ加わる人物ではありません。対立の筋立ても、魔女に関わる秘密も異なります。
つまり、映画は原作の終盤を短くまとめただけではなく、登場人物の行き先や、問題が解決する流れを組み替えているのです。
映画では、かつて対立した相手も同じ暮らしに加わる
ここからは考察ですが、映画で荒地の魔女が城に加わる展開は、本作の家族の描き方にもつながっています。
ソフィーにとって、魔女は自分の人生を大きく変えた相手です。それでも、力を失った彼女を置き去りにせず、同じ場所で暮らすようになります。
日本テレビの公式紹介も、映画を、共同生活を通して家族になっていくホームドラマという面から説明しています。
相手を許したから過去の出来事が消える、という話ではありません。それでも、敵だった人との関係が、その後ずっと同じとは限らない。映画の魔女には、そんな複雑さがあります。
原作を読めば、映画の謎の答えが分かる?
原作は、映画を考えるうえで参考になります。ただし、原作に書かれていることと、映画で採用された設定は分けて扱う必要があります。
ソフィーの魔法の力は、その代表例です。原作では、彼女の言葉が物に作用する魔法の力として説明されます。一方、映画では、同じ仕組みを明言する説明はありません。
原作を踏まえて映画のソフィーの言葉や行動を読み解くことはできます。しかし、「原作がそうだから、映画でもすべてソフィーの魔法だった」と結論づけると、映像に残されている曖昧さまで消してしまいます。
小説には言葉で説明される面白さがあり、映画には表情や姿の変化から考える面白さがあります。説明の有無だけで、片方が不完全だと決める必要はないでしょう。
原作シリーズの続きは、映画の直接の続編ではない
徳間書店からは、『魔法使いハウルと火の悪魔』に続くシリーズとして、『アブダラと空飛ぶ絨毯』『チャーメインと魔法の家』も刊行されています。
シリーズの書籍は、徳間書店の原作紹介ページから確認できます。
ただし、それらは原作小説の世界につながる作品です。映画とは人物設定や展開が異なるため、映画の最後からそのまま続く物語として読むと、戸惑う部分があるでしょう。
映画の先が気になって原作へ進むなら、まず一作目から、その世界の人間関係を知っていくと理解しやすくなります。
まとめ|原作と映画は、共通の出発点から違う物語へ広がる
『ハウルの動く城』の原作は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔法使いハウルと火の悪魔』です。
老婆になったソフィーが城へ入る出発点は共通していますが、姉妹関係、弟子の設定、ハウルの素性、荒地の魔女の役割、戦争の扱いには違いがあります。
原作は映画の答え合わせに役立つ部分もありますが、映画のすべての謎を説明する設定集ではありません。それぞれの作品で、何が描かれ、何が説明されているのかを確かめたいところです。
同じ登場人物でも、置かれる状況が違えば、見えてくる弱さや優しさも変わります。「知っている話のはずやのに、こんな顔もあるんやな」。原作と映画の比較には、そんな人物との出会い直しもあるのではないでしょうか。

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