『風立ちぬ』と『紅の豚』の主人公を比較|飛行機を作る二郎と飛ぶポルコ

『風立ちぬ』と『紅の豚』は、どちらも飛行機が印象に残る宮崎駿監督作品です。ただ、主人公が空に関わる立場には、大きな違いがあります。

二郎は飛行機を設計する人、ポルコは飛行機を操縦して生きる人です。同じ飛行機を見つめていても、二郎は「どう作るか」、ポルコは「どう飛び、どう暮らすか」という側から空に関わっています。

この違いを軸にすると、二人が仕事に求めるものや、社会との距離の取り方も比較できます。どちらが自由で、どちらが正しいと決めるのではなく、それぞれが何を選び、何に関わっているのかを見ていきましょう。

この記事では、公式の作品紹介と制作関係者の発言を確認しながら、二郎とポルコの共通点と違いを整理します。人物の気持ちや生き方について広げる部分は、考察として紹介します。

※両作品の物語や人物の背景に関するネタバレを含みます。

二郎とポルコの違いは、飛行機に関わる仕事

二郎は、飛行機を形にする設計者

『風立ちぬ』の二郎は、飛行機作りに取り組む設計者です。実在の航空技術者・堀越二郎をモデルとしながら、映画全体としてはフィクションの物語になっています。

スタジオジブリの公式紹介でも、自分の夢に向かって進む青年技師の姿が説明されています。

出典:スタジオジブリ公式「『ジブリの森』7月号は、『風立ちぬ』を大特集!」

二郎の仕事には、形を思い描くことだけでなく、図面や計算、試作、試験という過程があります。空を飛ぶ姿に憧れる気持ちが、机に向かう具体的な仕事へつながっています。

このため、二郎にとっての飛行機は、完成を目指すものとして大きな意味を持ちます。まだ存在しない一機を、技術によって実現しようとする人物なんですね。

ポルコは、操縦の腕で暮らす飛行機乗り

『紅の豚』のポルコは、空賊を相手にする賞金稼ぎです。愛機を操縦し、自分の腕で仕事を引き受けて暮らしています。

金曜ロードショー公式の紹介でも、ポルコの卓越した操縦技術や、愛機への情熱に触れられています。

出典:金曜ロードショー公式『紅の豚』紹介

ポルコにとって、飛行機は生活の中で使う機体です。飛ばせばそれで終わりではなく、仕事を続けるために整備や修理も必要になります。

二郎は機体を生み出す側、ポルコは機体を使い、自分自身も空へ出ていく側。この立場の違いが、二人を比較する出発点になります。

飛行機を「作ること」と「飛ぶこと」で変わる見え方

比較する点二郎ポルコ
主な仕事航空機の設計飛行艇を操縦する賞金稼ぎ
機体との関わり設計し、完成を目指す操縦し、維持して使う
仕事の場会社や開発の組織自分の操縦技術で請け負う仕事
比較の手がかり夢を社会の中でどう実現するか自分の腕でどう生きるか

もちろん、設計者も操縦者も、一人だけで飛行機を成立させられるわけではありません。ここでの比較は、あくまで主人公がどの立場から描かれているかという違いです。

二郎を見るときには、工夫や努力が機体へ結びつく過程に目が向きます。一方、ポルコを見るときには、操縦の技術がその場の判断や行動として現れます。

同じ空への情熱でも、図面の前で考える時間と、操縦席で判断する時間では、見せられる仕事の姿が違う。その違いを知ると、飛行機の場面も比べやすくなります。

会社で夢を形にする二郎と、自分の腕で働くポルコ

二郎の才能は、組織の中で発揮される

二郎は会社に入り、同僚や上司と関わりながら設計の仕事を進めます。個人のアイデアを、実際に飛ぶ機体にするためには、組織の設備や人の力が必要です。

ここからは考察ですが、二郎の姿には、好きなことを実現するために組織で働くという面があります。会社は夢を妨げるものとしてだけ存在するのではなく、大きな開発を可能にする場所でもあります。

ただし、組織の中で作れることと、何でも自由に作れることは同じではありません。会社の仕事には、依頼や要求、開発の目的があります。二郎の夢も、その条件の中で形になります。

自分の才能を発揮できる場所と、自分だけでは決められない条件が、同じ仕事の中にある。そこに、二郎の生き方を考える難しさがあります。

ポルコの働き方にも、支えてくれる人がいる

ポルコの賞金稼ぎという仕事は、自分の技術で生きる姿として映ります。しかし、機体が傷めば、操縦がうまいだけでは飛び続けられません。

映画では、ピッコロ社で機体の修理と改修が進められ、フィオも設計に関わります。ポルコの空での仕事は、地上でものを作る人たちによって支えられています。

その点では、二郎とポルコは、まったく無関係な働き方をしているわけではありません。二郎のように設計する人がいて、ポルコのように飛ぶ人がいる。二つの作品を並べると、そのつながりにも目が向きます。

自分の腕で暮らす姿には惹かれるものがあるけれど、その自由にも、人との関わりや日々の維持が必要なんよな。ポルコの働き方も、誰の力も借りずに生きるという話ではありません。

共通しているのは、飛行機への情熱が日常の仕事にあること

二郎もポルコも、飛行機を遠くから眺めるだけの人物ではありません。それぞれの技術を使い、仕事として機体に関わっています。

二郎には設計の作業があり、ポルコには操縦や機体を維持するためのやり取りがある。空への憧れが、具体的な手間や判断につながっているところは共通しています。

だからこそ、両作品の飛行機は、ただ美しい風景を作るためだけの存在にはとどまりません。主人公の生活や、人との関係を動かすものにもなっています。

ただ、その情熱を持って生きる二人には、戦争との関わり方に違いがあります。二郎は軍用機を設計する仕事へ進み、ポルコには軍人として飛んでいた過去があります。その違いを整理すると、空を愛する二人の距離が、さらに見えてきます。戦争との関わりは、二郎とポルコでどう違う?

二郎は、軍用機を開発する仕事に携わる

『風立ちぬ』の二郎は、会社で軍用機の設計に取り組みます。美しい飛行機を作りたいという個人の願いが、軍のための開発と結びついています。

ディズニー公式の作品紹介でも、戦争へ向かう日本を背景に、堀越二郎の半生を描く作品として説明されています。

出典:ディズニー公式『風立ちぬ』作品紹介

ここで考えたいのは、二郎が飛行機のどこに魅力を感じているかと、その機体が何に使われるかは、別々に検討する必要があるということです。

設計の工夫に喜びがあり、技術的な成果があったとしても、軍用機としての役割は残ります。二郎の夢は、社会から独立した場所で実現するものではありません。

ポルコには、国のために戦った過去がある

一方、『紅の豚』のポルコは、軍人として戦った過去を持ちながら、物語の現在では賞金稼ぎとして暮らしています。

鈴木敏夫プロデューサーは、スタジオジブリが公開する『熱風』の文章で、ポルコを、国のために戦った経験と、そのむなしさを知った人物として説明しています。

出典:スタジオジブリ公開『熱風』2013年7月号特集「憲法改正」・鈴木敏夫の文章

この説明を踏まえると、ポルコの現在の暮らしには、過去に属していた場所から距離を取る姿を読み取れます。ただし、豚になった理由のすべてを、一つの心理だけで説明することはできません。

二郎は設計の仕事を通して軍用機に関わり、ポルコは戦った経験を持つ操縦者として描かれる。同じ飛行機の物語でも、主人公が戦争と接している位置が異なります。

ポルコは自由で、二郎は自由ではないのか

働き方だけで、自由の大きさは決められない

二人を並べると、会社で働く二郎より、自分の飛行艇で仕事をするポルコのほうが自由に見えるかもしれません。

けれど、ポルコにも、機体を維持する費用や修理の必要があります。仕事を続けるには、操縦の腕だけでなく、地上で支えてくれる人たちとの関係も欠かせません。

反対に、二郎は組織の中にいるからこそ、設備や仲間の力を借り、大きな機体の開発に携われます。会社にいることが、そのまま夢を失うことにはなっていません。

ここからは考察ですが、二人の違いは、自由があるかどうかより、何を自分で決められ、何を引き受けているかに表れているのではないでしょうか。

仕事の形が違えば、選べることも、必要になる助けも変わります。ポルコの暮らしを格好いいと思いながら、二郎が組織の中で得た機会にも目を向けると、比較に厚みが出てきます。

好きなことが、生き方を狭める場合もある

二郎は飛行機作りに強く惹かれています。その情熱は、仕事を進める力になります。一方で、夢を実現できる場所や条件が限られれば、好きなことを続けるために、受け入れなければならない事情も生まれます。

ポルコにとっても、飛行機は手放しやすい趣味ではなく、仕事と生活に深く関わる存在です。飛ぶことを選ぶからこそ、機体を保ち、危険も引き受けることになります。

好きなことをしていたら、何にも縛られずに暮らせる。そんな単純な話にはならないんよな。二人を比較すると、情熱が自由を広げる面と、その人を特定の生き方へ結びつける面の両方が見えてきます。

二人のそばにいる人を見ると、主人公の印象も変わる

二郎には、仕事と菜穂子との時間がある

二郎の人生には、飛行機の開発と、菜穂子との関係があります。設計者としての成果だけを追うと、二人で過ごす時間をどう持つかという問題を見落としてしまいます。

菜穂子と暮らす間も、二郎の仕事は続きます。同じ場所にいることと、相手にすべての時間を向けられることは同じではありません。

この描写からは、夢を大切にすることと、大切な人との時間を守ることが、いつでも自然に両立するわけではないと読み取れます。

ポルコには、フィオやジーナとの関係がある

ポルコも、一人の飛行機乗りとしてだけ存在しているわけではありません。機体の改修に関わるフィオや、長い付き合いのあるジーナとの関係があります。

金曜ロードショー公式の制作紹介では、ジーナがポルコの姿を含めて受け入れようとする人物として説明されています。

参考:金曜ロードショー公式『紅の豚』制作裏話

二郎と菜穂子、ポルコとジーナは、同じ関係ではありません。それでも、主人公が仕事や空に向ける思いを、そばにいる人がどう受け止めるかという視点では比較できます。

本人が選んだ生き方は、その人だけでなく、近くにいる人の時間にも関わってくる。そこへ目を向けると、二人の格好よさだけでは語りきれない部分が見えてきます。

二郎とポルコを、正反対の答えとして固定しない

ここまで比較しても、「組織に入る二郎は間違いで、離れて暮らすポルコが正解」と結論づける必要はありません。

二人は、生きている場所も、職業も、物語の中で示される経験も異なります。ポルコの選び方をそのまま二郎に当てはめても、同じ人生にはなりません。

また、両作品を比べることと、二つの世界が設定上つながっていると主張することも別です。この比較から、同じ場所や死後の世界を共有していると判断することはできません。

比較によって見えてくるのは、同じ空に惹かれる人物でも、技術をどこで使い、誰と暮らし、社会とどんな距離を取るかで、生き方が変わるということです。

自分なら二郎のように作る側に惹かれるやろうか。それとも、ポルコのように自分で動かす側に惹かれるやろうか。そのうえで、続けるための条件や責任まで考えてみると、二人の物語が少し身近になるかもしれません。

まとめ|作る二郎と飛ぶポルコから、空への関わり方を比べる

『風立ちぬ』と『紅の豚』の大きな違いは、二郎が飛行機を設計する人物であり、ポルコが飛行機を操縦して暮らす人物であることです。

二郎は組織の中で機体を開発し、ポルコは自分の操縦技術で仕事を引き受けます。ただし、どちらも一人だけで空との関わりを保っているわけではありません。

戦争との距離や、そばにいる人との時間にも違いがあります。その違いを見比べることで、飛行機への情熱が、仕事や暮らしの中でどんな意味を持つのかを考えられます。

空への憧れがある。その先で、何を作り、どう飛び、誰と生きるのか。二人を並べて見る面白さは、その選び方の違いにあるのではないでしょうか。

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