「アスベルとナウシカには、失恋シーンがあるの?」
映画で二人の距離が近づく様子を見ていると、その後の関係が気になりますよね。検索で「失恋」という言葉が出てくると、告白して断られる場面でもあったのかと思ってしまいます。
まず答えると、映画には、アスベルとナウシカが告白して振られる場面はありません。「失恋シーン」として取り上げられるのは、原作漫画の最終巻にある、アスベルとケチャの抱擁と、その近くに描かれたナウシカの表情です。
ただし、その場面を「ナウシカがアスベルに失恋した瞬間」と断定することはできません。人物の表情やコマの並びから、そう受け取れる余地があるという話です。
失恋って、そのときはつらいんよな。でも時間がたってから、「あれだけ人を好きになっていたんやな」と、しみじみ思うこともある。おっさんになって思うのは、恋が実らなかったことと、人を好きになった気持ちに価値がなかったことは、別やということです。
この記事では、映画と原作を分けながら、失恋と呼ばれる場面がどこにあるのか、そこから何を読み取れるのかを考えていきます。
※ここから映画『風の谷のナウシカ』と原作漫画の結末に触れます。
アスベルとナウシカの失恋シーンは、映画と原作を分けて考えたい
まず整理したいのは、映画の二人と、原作漫画の二人は、同じところまで描かれているわけではないということです。
映画『風の谷のナウシカ』は、漫画の連載中に制作された作品です。三鷹の森ジブリ美術館の公式ショップによる原作紹介でも、映画は漫画の2巻までの内容をもとに制作されたと説明されています。
原作は全7巻。映画の先にも物語が続き、二人が出会う人や、関わっていく世界が広がります。
そのため、原作終盤の人間関係を、そのまま映画の続きとして当てはめることはできません。映画だけを見た人にとっては、知らない人物が突然恋の相手として出てくるように感じられるかもしれませんが、それは別の展開をたどった原作の話です。
映画の制作情報は、スタジオジブリの公式作品ページで確認できます。一方、原作の恋愛関係については、公式作品ページが「誰が誰に失恋した」と説明しているわけではありません。
作品の基本情報を確認できることと、人物の恋心が確定していることは分けて考える必要があります。
映画には、アスベルがナウシカに振られる場面はない
映画では、ナウシカとアスベルが危険を乗り越える中で、互いに心を開いていきます。
腐海の底で二人が言葉を交わす場面は、その関係を考えるうえで大切です。それまで恐ろしい場所として見えていた腐海の奥で、二人は世界の仕組みに触れていきます。
ここには、ただ一緒に行動しているだけではない親しさがあります。危険な状況で助け合い、相手の言葉を聞き、自分の考えを伝える。恋愛として見るなら、気持ちが近づいていく場面にも見えます。
ただ、親しさがあることと、恋人同士になることは同じではありません。
映画では、二人が交際を約束したり、一方の告白をもう一方が断ったりする展開は描かれません。したがって、「映画のどの場面でアスベルが失恋したのか」という問いに、特定の場面を答えとして示すことはできません。
二人を恋人になってほしい組み合わせとして受け取ることはできます。でも、そこから「アスベルは振られた」「ナウシカは別の相手を選んだ」と進めると、映画で描かれた範囲を越えてしまいます。
むしろ映画には、関係がまだ決まっていないからこその余韻があります。これからもっと親しくなるかもしれないし、大切な仲間として生きていくかもしれない。その先は、観客に残されています。
原作で「失恋シーン」と呼ばれるのは、最終巻の抱擁とナウシカの表情
原作の場面紹介で「失恋」と結びつけられているのは、最終巻でアスベルとケチャが抱き合う場面と、その近くに描かれたナウシカの表情です。
ケチャは原作に登場する人物で、映画には登場しません。アスベルと旅や出来事を通して関わりを深めていく相手です。
この場面は、原作の該当コマを紹介する「ジブリノート」の考察記事でも取り上げられています。ただし、こちらは公式解説ではなく、原作の描写についての個人の考察です。「失恋」という呼び方そのものを、公式設定として扱うことはできません。
場面を恋愛として読むと、ナウシカの表情に「自分が近くにいた相手が、別の人と親しくなっていた」という寂しさを重ねることができます。
気持ちを言葉にする前に、相手との距離が変わってしまう。はっきり振られたわけではないけれど、自分が思い描いていた関係にはならないのかもしれない。そういう静かな切なさとして受け取る読み方です。
ただし、ナウシカがそのとき何を考えていたのかは、表情だけで一つに決められません。抱擁を見たこと、表情が描かれていること、そこから失恋を読み取ることは、それぞれ分ける必要があります。
また、アスベルとケチャの抱擁だけで、その後の結婚まで確定したことにもなりません。親密な描写があることと、将来の関係が明示されていることは別です。
恋愛の結末を知りたいと、つい「結局、誰とくっついたん?」と答えを求めたくなります。でも、この場面の気になるところは、答えが言葉で示されないことにもあるんちゃうかな。
何も言わなかった気持ちが、そこにあったのかもしれない。あるいは、恋愛とは別の寂しさだったのかもしれない。その余白があるからこそ、ナウシカの表情をどう受け取るかが、読者によって変わるのだと思います。
ナウシカの表情は、恋よりも「距離の変化」を表しているのかもしれない
原作のラストにあるナウシカの表情を、失恋以外の意味で読むなら、アスベルとの距離が変わったことへの寂しさとも考えられます。
一緒に危険を乗り越えた相手でも、その後に出会う人や経験する出来事は同じではありません。同じ時間を過ごしたことが、ずっと同じ道を歩く約束になるわけではないのです。
アスベルとケチャの抱擁に、二人の間で育った親しさを読み取るなら、ナウシカの表情には、自分がいなかった時間の長さを感じたような寂しさを重ねることもできます。
これは、ナウシカが実際にそう考えたと確定できる話ではありません。ただ、恋愛という名前をつけなくても、大切な相手との関係が変わることには切なさがあります。
「前は自分が隣にいたのに、今は別の人がいる」。そんなふうに読める瞬間って、告白して断られる場面とは違うつらさがあるんよな。相手を責める理由がないぶん、自分の気持ちをどこへ置けばいいのか分からなくなる。
ナウシカの表情を失恋として受け取るにしても、別の寂しさとして受け取るにしても、そこにあるのは、相手との関係を自分一人では決められない切なさなのかもしれません。
セルムがいるから、アスベルへの気持ちが消えたとは言い切れない
原作のナウシカの関係を考えるときには、「森の人」であるセルムも重要な存在です。ただし、セルムとの関わりがあることを理由に、アスベルへの気持ちまで一つに決めることはできません。
「セルムが恋の勝者で、アスベルが敗者だった」と整理すると分かりやすくはなります。でも、その整理だけでは、人物同士のつながりを狭く捉えてしまう可能性があります。
危険を乗り越えた相手への信頼と、自分の考えを深く理解してくれる相手への思いは、同じ形とは限りません。親しさ、尊敬、安心、恋心。その境目を、外からきれいに分けるのは難しいものです。
ナウシカとアスベルの関係も、「恋人として結ばれたかどうか」だけで、その意味が決まるわけではないでしょう。
一緒に過ごした時間や助け合った出来事は、結婚という結末が描かれなくても、二人の関係の一部として残ります。だからこそ、原作のラストを恋愛として読む場合にも、誰が選ばれたかだけでは拾いきれないものがあります。
誰かと近づいたから、以前の相手がどうでもよくなった。そういうふうに割り切れないのが、人の気持ちなんちゃうかな。
もちろん、これは作品の恋愛関係を確定する説明ではなく、描写を受け取るための一つの考え方です。ナウシカの気持ちを代わりに決めるより、言葉にならなかった部分を残しておきたいと思います。
おっさんになって思う、失恋がいい思い出に変わること
ここからは、ナウシカの心理を説明する話ではなく、失恋という読み方からつながる個人的な思いです。
おっさんも、失恋したときはつらい。でも時間がたつと、ほんまにいい思い出になることがあるんよな。
当時は、うまくいかなかったことばかりが気になる。相手と一緒にいたかったという気持ちが強いほど、そうならなかった現実がしんどい。すぐに「いい経験やった」とは思えません。
それが、後からしみじみ振り返ると、「あんなに人を好きになっていたんやな」と感じられることがあります。
恋が実ったかどうかとは別に、自分の中に、それだけ誰かを大切に思う気持ちがあった。そのことまで、なかったことにせんでもええと思うんです。
それだけ人を好きになれた気持ちって、素敵なことやねんで。
ただ、今つらい人に「そのうちいい思い出になるから」と、気持ちを急がせたいわけではありません。時間がたっても痛む恋もあるでしょうし、無理に美しい話にまとめる必要もありません。
自分の場合は、時間がたったことで、つらさだけではなく、人を好きだった気持ちのほうにも目が向くようになる。そういう変化がある、という話です。
ナウシカの表情を失恋のように受け取るなら、その瞬間だけを「かわいそう」で終わらせなくてもいいのかもしれません。作中に描かれていない未来を決めつけることはできないけれど、その人の気持ちには、その場面より先の時間もあるはずです。
「結ばれなかったから無駄だった」とは思いたくない
ナウシカとアスベルを恋愛として見ていると、二人が結ばれる場面を期待したくなります。でも、期待した結末が描かれないことと、二人の出会いに意味がないことは別です。
映画で二人が助け合い、腐海の底で言葉を交わした時間は、恋人になるためだけの準備として描かれているとは限りません。その場で互いを理解し、信頼できたこと自体に意味があります。
原作のラストを失恋として読むときにも、その手前にあった関係まで否定する必要はないでしょう。
恋愛は、最後に一緒になれたかどうかが気になるものです。それでも、結果だけで全部を採点してしまうと、人を好きだった時間が、成功か失敗かの二つに分かれてしまいます。
うまくいかなかった恋にも、大切だった気持ちはある。おっさんになって振り返ると、そこをもう少し優しく受け止めてもええんちゃうかなと思うんです。
ナウシカのあの表情は、あなたには失恋に見えるでしょうか。それとも、大切な人との距離が変わった寂しさに見えるでしょうか。
答えが明示されないからこそ、自分の中にある別れや、人を好きになった気持ちが、その表情に重なるのかもしれません。
まとめ|アスベルとナウシカの「失恋」は、原作の描写から生まれる解釈
映画には、アスベルとナウシカが告白して振られる場面はありません。「失恋シーン」と呼ばれるのは、原作最終巻のアスベルとケチャの抱擁と、ナウシカの表情を恋愛として受け取る読み方です。
ただし、ナウシカの気持ちが失恋だったと明示されているわけではありません。二人の距離の変化や、恋愛とは違う寂しさを感じさせる場面として読む余地もあります。
そして、もし失恋として受け取ったとしても、そこまでの気持ちが無駄になるわけではないと思います。
そのときはつらくても、後から「あれだけ人を好きになっていたんやな」と、しみじみ思えることがある。結ばれたかどうかだけでは測れない、好きになった気持ちの大切さ。ナウシカとアスベルの関係から、そんなことも考えられるんちゃうかな。

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