映画『もののけ姫』に登場するタタラ場。
エボシ御前が率いるこの場所には、鉄を作る女性たちや牛飼いの男たちだけでなく、全身に包帯を巻いた「病者」と呼ばれる人々が暮らしています。
アシタカが彼らのいる場所を訪れる場面は、ほかのタタラ場の場面とは少し違った雰囲気がありますよね。
「あの人たちは何の病気なの?」「エボシはなぜ病者たちを受け入れたの?」「ハンセン病がモデルになっているって本当?」
そして、もう一つ気になるのが、病者たちがエボシに深い感謝を抱いている理由です。
『もののけ姫』のタタラ場に登場する病者たちは、ハンセン病を患った人々を念頭に描かれています。宮崎駿監督自身が、ハンセン病療養所や資料館を訪れた経験と、作品の病者たちとの関係について語っています。
ただし、映画の中で具体的な病名が説明されるわけではありません。
この記事では、タタラ場の病者たちの正体、エボシ御前との関係、石火矢を作る理由、そして宮崎駿監督が彼らを描いた背景について考えていきます。
※この記事には映画『もののけ姫』の物語後半までのネタバレが含まれます。
『もののけ姫』タタラ場の病者たちはハンセン病なの?
『もののけ姫』に登場する病者たちは、顔や体に包帯を巻き、タタラ場のほかの住民とは離れた建物で暮らしています。
アシタカがエボシ御前に案内されて訪れると、そこでは病を抱えた人々が石火矢の製作や改良に取り組んでいました。
この病者たちについて、映画本編では具体的な病名が語られていません。
しかし、宮崎駿監督は2016年1月、ハンセン病の歴史や自身の作品との関わりについて公の場で語っています。
監督は『もののけ姫』の制作中、東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所「多磨全生園」を訪れ、そこに生きてきた人々の歴史に強い衝撃を受けたと説明しました。
そして、病を抱えながらも懸命に生きようとした人々の姿を作品に描く必要があると考えたことを明かしています。
つまり、病者たちがハンセン病と関係しているというのは、単なるファンの推測ではありません。
宮崎駿監督本人の発言によって、ハンセン病を患った人々の存在が、タタラ場の病者たちを描くうえで重要な背景になっていたことが確認できます。
出典:テレ朝NEWS「初『もののけ姫でハンセン病描いた』宮崎駿氏語る」(2016年1月28日)
ハンセン病とはどんな病気?
ハンセン病は、らい菌によって引き起こされる感染症です。
主に皮膚や末梢神経などに症状が現れ、治療が遅れると感覚障害や身体の変形などが残る場合があります。
しかし、現在では適切な薬による治療で治すことができる病気です。
また、感染力は非常に弱く、日常生活で簡単に感染する病気ではありません。
それにもかかわらず、かつて日本ではハンセン病に対する誤解や偏見が広がり、患者や回復者、その家族が長年にわたって差別を受けてきました。
日本では、国の隔離政策によって患者が療養所での生活を余儀なくされ、家族や故郷から引き離された人々もいました。
1996年に「らい予防法」が廃止されるまで、隔離を基本とする政策が長く続いていたのです。
病気そのものによる苦しみに加えて、社会の偏見や制度によって生活の自由を奪われていたことも、ハンセン病問題を理解するうえで重要です。
詳しくは国立ハンセン病資料館公式サイトで確認できます。
エボシ御前はなぜ病者たちをタタラ場に受け入れた?
タタラ場の病者たちを語るうえで、欠かせない人物がエボシ御前です。
エボシは、森を切り開いて鉄を作り、タタラ場を発展させてきた指導者です。
シシ神の森を守ろうとするサンや山犬たちから見れば、エボシは自然を破壊する敵として映ります。
しかし、タタラ場で暮らす人々にとっては、生活の場を与えてくれた重要な存在でもあります。
特に病者たちは、エボシに深い感謝を抱いています。
エボシは病者たちを人間として扱った
アシタカが病者たちのもとを訪れる場面では、病者の長がエボシへの感謝を語ります。
彼らは病によって苦しむだけでなく、周囲の人々から人間として扱われない経験をしてきたことがうかがえます。
そんな彼らをエボシはタタラ場に迎え入れ、生活の場所を与えました。
そして、単に保護するだけでなく、石火矢の製作という重要な仕事も任せています。
ここが、エボシという人物の大きな特徴です。
病者たちを何もできない人として扱うのではなく、タタラ場を支える仲間として受け入れているのです。
もちろん、エボシがなぜそこまで病者たちを大切にしているのか、その内面のすべてが映画で説明されているわけではありません。
それでも、病者たちの言葉や行動から、エボシが彼らにとって大きな存在であることは伝わってきます。
病気があるという理由で社会から遠ざけられてきた人々にとって、働く場所や自分の役割があることは、どれほど大きな意味を持ったのでしょうか。
そんなことを考えさせられる場面です。
病者たちがエボシを信頼する理由
病者たちがエボシを信頼しているのは、単に食事や住む場所を与えてもらったからだけではないように感じます。
自分たちを必要としてくれる場所があること。
そして、病気を抱えていても、何かの役に立てると認めてもらえること。
その両方が、彼らにとって重要だったのではないでしょうか。
人は生活するためにお金や食べ物を必要とします。
でも、それだけで心が満たされるとは限りません。
誰かに必要とされていることや、自分の居場所があることも、生きていくうえでは大切なものだと思います。
エボシは、そうした居場所を病者たちに与えた人物として描かれているように見えます。
エボシの行動で印象的なのは、病者たちを一方的に救う対象としてではなく、タタラ場をともに支える人々として扱っているところです。
ただし、その関係がすべて理想的だったと決めつけることもできません。
病者たちの仕事が、森との争いに使われる武器の製作だったことも、忘れてはいけない部分です。
病者たちはなぜ石火矢を作っていたの?
タタラ場の病者たちは、エボシのために石火矢を製作しています。
石火矢は、火薬を使って弾を発射する武器です。
映画では、エボシたちが森の神々や敵対する人間たちと戦うために使っています。
病者たちは、その石火矢を改良し、タタラ場の戦力を支えています。
ここで気になるのは、なぜエボシが彼らに武器の製作を任せているのかということです。
石火矢作りはタタラ場を守るための重要な仕事
タタラ場は、鉄を作ることで成り立っています。
しかし、鉄を作るためには大量の木材が必要であり、周囲の森を切り開かなければなりません。
その結果、森を守ろうとする山犬や猪神たちとの争いが起きています。
また、タタラ場は人間同士の争いにも巻き込まれています。
そのため、エボシにとって石火矢は、タタラ場を守るための重要な武器でもあるのです。
病者たちが石火矢の製作を担当することは、彼らがタタラ場の存続に関わる仕事を任されていることを意味します。
ただし、石火矢の製作を任せた具体的な理由や、病者たちの技術習得の経緯については、映画では詳しく説明されていません。
人を守る武器が、別の命を奪うという矛盾
病者たちが作る石火矢は、タタラ場の人々を守るために使われます。
しかし、その武器によって、森の生き物や神々が傷つけられることもあります。
ここには、エボシの行動と同じ矛盾があります。
エボシは、社会から居場所を奪われた人々を受け入れています。
その一方で、彼らの暮らしを守るために森を切り開き、森の神々と争っています。
人間の生活を守ることが、別の命を傷つけることにつながっているのです。
これは簡単に善悪を決められる問題ではありません。
タタラ場の人々にとっては、鉄を作り続けることが生活を守る手段です。
しかし、森の生き物たちにとっては、自分たちの住む場所が失われることを意味します。
どちらにも、生きるための事情があります。
だからこそ、『もののけ姫』は単純な自然保護の物語ではなく、人間と自然がどう共存できるのかを考えさせる作品になっているのでしょう。
宮崎駿監督はなぜ『もののけ姫』でハンセン病を描いたのか?
『もののけ姫』に登場する病者たちは、単にタタラ場の様子を説明するためだけの人物ではありません。
宮崎駿監督は、ハンセン病を患った人々の歴史に触れた経験が、作品の制作に深く関わっていたことを明らかにしています。
2016年1月、宮崎監督は東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館で開かれた講演会に参加しました。
そこで、『もののけ姫』の制作中にハンセン病療養所を訪れたことや、病を抱えながら生きてきた人々への思いについて語っています。
この発言から分かるのは、タタラ場の病者たちが、単なる想像上の設定だけで生まれたわけではないということです。
現実に存在した人々の歴史や、社会の中で置かれてきた立場が、作品を描くうえで重要な背景になっていたのです。
多磨全生園を訪れた宮崎駿監督
宮崎監督が訪れたのは、東京都東村山市にある国立ハンセン病療養所「多磨全生園」です。
この施設は、1909年に開設された療養所を前身としています。
日本では長年、ハンセン病患者に対する隔離政策が続けられてきました。
そのため、病気を理由に故郷を離れ、家族や地域社会とのつながりを断たれた人々がいました。
療養所で暮らすことになった人々の中には、病気そのものだけでなく、社会の偏見や差別によって苦しんできた人もいます。
宮崎監督は、そうした歴史に触れたことが『もののけ姫』の制作にも影響したと語っています。
特に重要なのは、病を抱えた人々を、ただ苦しんでいる存在として描こうとしたわけではないことです。
彼らもまた、それぞれの人生を持ち、懸命に生きてきた人間です。
その姿を作品の中に描く必要があると考えたことが、監督の発言からうかがえます。
講演については、国立ハンセン病資料館公式サイトや、2016年1月28日付のテレ朝NEWSの講演報道が参考になります。
病気を抱えていても懸命に生きる人々を描いた
タタラ場の病者たちは、映画の中で重要な役割を担っています。
彼らはエボシに保護されているだけではありません。
石火矢を作り、改良し、タタラ場の存続に関わっています。
ここには、病気を抱えていても、自分の役割を持ちながら生きている人々の姿があります。
病者たちは、単にかわいそうな存在として描かれているわけではないのです。
ただし、彼らが置かれた状況を理想的なものとして捉えることもできません。
病気による苦しみがあり、社会から排除されてきた経験があり、タタラ場でも危険な武器の製作を担っています。
そうした複雑な状況を含めて描いているところに、『もののけ姫』らしさがあると思います。
エボシ御前は善人なのか悪人なのか?病者たちとの関係から考える
『もののけ姫』のエボシ御前は、見る立場によって印象が大きく変わる人物です。
森を守ろうとするサンや山犬たちから見れば、エボシは森を破壊する敵です。
しかし、タタラ場の人々から見れば、生活を守ってくれる指導者でもあります。
特に病者たちにとって、エボシは自分たちを受け入れてくれた大切な存在です。
この二つの姿をどう受け止めればいいのでしょうか。
社会から排除された人々を受け入れるエボシ
エボシは、病者たちだけでなく、売られてきた女性たちもタタラ場に迎え入れています。
女性たちは鉄を作る仕事を担い、男性たちに対しても遠慮なく意見を言っています。
当時の社会の中では弱い立場に置かれやすかった人々が、タタラ場では重要な役割を持っているのです。
ここに、エボシの持つ一つの理想が表れているように感じます。
身分や過去によって人の価値を決めるのではなく、働き、暮らしていける場所をつくる。
その姿勢は、タタラ場の人々がエボシを慕う理由の一つになっているのでしょう。
ただし、エボシが現代的な意味での平等や人権を目指していたと、公式に説明されているわけではありません。
あくまで映画の中で描かれた行動から、そのような考え方を読み取ることができるということです。
人間を守るために森を傷つける矛盾
一方で、エボシは鉄を作るために森を切り開き、山犬や猪神たちと戦っています。
そして、シシ神の首を狙う計画にも関わります。
病者たちが作った石火矢も、その争いの中で使われます。
つまり、エボシがタタラ場の人々を守ろうとする行動は、森の生き物たちの生活を脅かすことにもつながっているのです。
人間の立場から見れば、暮らしを守るための行動。
森の立場から見れば、自分たちの居場所を奪う行動。
どちらか一方だけを見れば、善悪を判断することは簡単かもしれません。
しかし、両方の立場を知ると、そう簡単には決められなくなります。
エボシは、誰かを救う力を持ちながら、別の誰かを傷つける力も持っている人物です。その矛盾こそが、彼女の複雑さを表しているのだと思います。
善人か悪人かという二択ではなく、彼女が何を守り、そのために何を犠牲にしているのかを見ることが大切なのではないでしょうか。
アシタカは病者たちとエボシをどう見ていた?
アシタカは、エボシが森を傷つけていることを知っています。
しかし、同時に、エボシによって救われた人々がいることも知ります。
その象徴的な場面が、病者たちとの出会いです。
アシタカは、病者たちがエボシを慕う理由を直接聞きます。
そのことで、エボシを単純な敵として見ることができなくなっていくように感じられます。
アシタカが知ったタタラ場のもう一つの姿
アシタカがタタラ場を訪れる前、彼は森を傷つける人間たちと、森を守ろうとする神々の争いを目にしています。
しかし、タタラ場に入ると、そこには日々の生活を営む人々がいます。
鉄を作る女性たち、牛を使って荷物を運ぶ男たち、そして石火矢を作る病者たち。
彼らにとって、タタラ場は単なる仕事場ではありません。
自分たちが生きていくための場所でもあるのです。
アシタカは、その現実を知ることになります。
森を守りたいというサンの気持ちも理解できる。
一方で、タタラ場の人々が生きていくために鉄を作っている事情も理解できる。
だからこそ、アシタカはどちらか一方を単純に悪と決めつけることができないのでしょう。
「曇りなき眼」で見ることの意味
アシタカは、物事を憎しみだけで判断しようとはしません。
相手が何をしているのかだけでなく、なぜそのような行動を取るのかも見ようとします。
病者たちとの出会いは、エボシの別の一面を知る重要な出来事だったと考えられます。
ここで大切なのは、事情を理解することと、すべての行動を許すことは違うという点です。
エボシが病者たちを救ったことは、森を破壊してよい理由にはなりません。
反対に、森を傷つけているからといって、病者たちを救った事実が消えるわけでもありません。
この二つを同時に見ることが、アシタカの姿勢につながっているように感じます。
人間関係でも、誰かの一つの行動だけを見て、その人のすべてを判断してしまうことがあります。
でも、実際の人間はもっと複雑です。
『もののけ姫』は、そんな人間の矛盾を簡単に切り捨てない作品なのかもしれません。
タタラ場の病者たちが伝える「生きること」の意味
タタラ場の病者たちは、物語の中心人物ではありません。
しかし、彼らの存在は、作品全体のテーマを考えるうえで重要です。
彼らは病を抱え、社会から排除されてきた経験を持ちながら、タタラ場で仕事をし、生活しています。
その姿からは、人間が生きていくうえで必要なものについて考えさせられます。
人間にとって居場所があることの大切さ
人は、生きるために食べ物や住む場所を必要とします。
しかし、それだけで十分とは限りません。
自分を受け入れてくれる人がいること。
自分の存在を認めてもらえること。
そして、社会の中で何らかの役割を持てること。
そうしたものも、人間が安心して暮らすためには大切なのだと思います。
タタラ場の病者たちは、エボシによって生活の場所を得ました。
さらに、石火矢を作るという重要な仕事も任されています。
ただし、働くことができなければ人間としての価値がないという意味ではありません。
仕事ができるかどうかに関係なく、一人ひとりが尊重されるべき存在です。
そのうえで、病者たちが自分の役割を持ちながら生きている姿には、社会の中で居場所を持つことの意味が表れているように感じます。
病気があっても人間の尊厳は変わらない
ハンセン病をめぐる歴史では、病気そのものだけでなく、偏見や差別によって多くの人々の尊厳が傷つけられてきました。
しかし、病気があることによって、人間としての価値が変わるわけではありません。
タタラ場の病者たちも、病を抱えているというだけで、ほかの人々より劣った存在として描かれているわけではありません。
彼らにはそれぞれの意思があり、感情があり、生活があります。
宮崎駿監督がハンセン病を患った人々の歴史に触れ、その存在を作品に描こうとしたことには、そうした人間の尊厳を見つめる姿勢も感じられます。
ただし、これは監督の発言と映画の描写を踏まえた解釈であり、監督がすべてをこの言葉で説明したという意味ではありません。
病者たちの存在を知ってから『もののけ姫』を見ると、エボシやタタラ場に対する印象も変わってくるかもしれません。
まとめ|タタラ場の病者たちはエボシのもう一つの姿を示している
『もののけ姫』に登場するタタラ場の病者たちと、エボシ御前との関係について解説しました。
- タタラ場の病者たちは、ハンセン病を患った人々を念頭に描かれている
- 宮崎駿監督は、多磨全生園を訪れた経験と作品との関係を語っている
- ハンセン病は現在では適切な治療で治すことができる感染症
- 日本では長年、患者や回復者に対する隔離政策と差別が存在した
- エボシは病者たちをタタラ場に受け入れ、生活の場所を与えた
- 病者たちは石火矢の製作や改良を担当している
- エボシは人々を救う一方で、森を傷つけるという矛盾も抱えている
- アシタカは病者たちとの出会いを通じて、エボシの別の一面を知る
タタラ場の病者たちは、エボシが単なる森の破壊者ではなく、社会から排除された人々を受け入れる人物でもあることを示しています。
しかし、だからといって、エボシが森を傷つけた事実が消えるわけではありません。
人を救う行動と、別の命を傷つける行動。
その両方が同じ人物の中に存在しています。
『もののけ姫』が長く心に残るのは、こうした矛盾を簡単に善悪で割り切らないからなのかもしれません。
そして、病者たちの存在を通じて、社会の中で居場所を持つことや、人間として尊重されることの大切さも描かれています。
病気があるからといって、人間としての価値が変わるわけではありません。
また、働けるかどうかや、社会にどれだけ貢献できるかによって、人の尊厳が決まるわけでもありません。
エボシは、病者たちをタタラ場に迎え入れました。
その行動は、彼らにとって大きな意味を持っていたのでしょう。
個人的には、エボシが善人なのか悪人なのかということ以上に、なぜ病者たちが彼女を慕っていたのかを考えることが大切だと思います。
森の神々にとっては敵でも、タタラ場の人々にとっては恩人だった。
同じ人物でも、立場が変われば見え方が変わるんよな。
そして、そのどちらか一方だけが、エボシのすべてではありません。
『もののけ姫』をもう一度見るときには、エボシと病者たちが交わす言葉や、アシタカが彼らを見つめる姿にも注目してみてください。
そこには、自然と人間の争いだけではない、もう一つの『もののけ姫』の物語が描かれているように思います。
ハンセン病の歴史や、宮崎駿監督が作品に込めた思いについて詳しく知りたい方は、国立ハンセン病資料館公式サイトも参考になります。

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