『もののけ姫』猩々とは?森に生きる猿たちの言葉を考察

映画『もののけ姫』に登場する猩々(しょうじょう)。

シシ神やモロの君、乙事主のような大きな存在ではありませんが、森の中で不気味な言葉を繰り返す猿たちの姿が印象に残っている人もいるのではないでしょうか。

暗い森の中に現れ、人間を憎み、森を取り戻そうとする猩々たち。

「猩々って、そもそも何者なの?」

「なぜ人間を食べようとするの?」

「木を植えて森を取り戻そうとしているのに、なぜ報われないの?」

結論からいうと、『もののけ姫』の猩々は、森を奪われることに怒り、人間を憎みながらも、木を植えて森を取り戻そうとしている猿たちです。

彼らは単なる悪役ではありません。

人間に対する強い憎しみを持ちながら、失われた森を再生しようとする存在として描かれています。

この記事では、猩々の正体や人間を憎む理由、サンとの関係、木を植える行動に込められた意味を、映画の描写をもとに考察します。

『もののけ姫』の猩々とは何者なのか?

猩々は、シシ神の森に暮らす猿の姿をした存在です。

作中では複数の猩々が集団で行動し、人間の言葉を話します。

モロの君が率いる山犬や、乙事主を中心とする猪たちと同じように、森に生きる存在ですが、その姿や行動には大きな違いがあります。

猩々たちは、森を破壊する人間を強く憎んでいます。

そして、人間に奪われた森を取り戻すため、木を植え続けています。

しかし、せっかく植えた木も、人間によって再び失われてしまいます。

そのため、猩々たちは人間への怒りを募らせているのです。

猩々は普通の猿なの?

『もののけ姫』の猩々は、現実の動物としての猿をそのまま描いた存在ではありません。

人間の言葉を話し、森の再生を願い、集団として意思を持って行動しています。

日本には古くから「猩々」と呼ばれる想像上の存在が伝わっています。

能の演目にも『猩々』があり、酒を好む不思議な存在として登場します。

ただし、映画の猩々が能の猩々と同じ性格や役割を持っているわけではありません。

『もののけ姫』では、森に暮らす猿たちとして独自の姿で描かれています。

名前の由来や伝承との直接的な関係については、宮崎駿監督本人の説明が確認できない限り、断定しないほうがよいでしょう。

猩々はなぜ人間を憎んでいるのか?

猩々たちが人間を憎む理由は、森を奪われているからです。

『もののけ姫』では、タタラ場の人々が鉄をつくり、生活を営むために森の木々を利用しています。

人間にとって森は、暮らしを支える資源でもあります。

しかし、森に生きる動物や神々にとっては、自分たちの住む場所そのものです。

猩々たちは、人間が木を切り、森を減らしていくことに怒っています。

彼らにとって人間は、住む場所を奪う存在なのです。

人間を食べれば人間の力を得られる?

猩々たちの言葉の中でも、特に不気味なのが、人間を食べようとする発言です。

彼らは、人間を食べることで人間の力を得られると考えているように描かれています。

ここで大切なのは、実際に人間を食べれば力を得られるという設定が、作中で証明されているわけではないことです。

あくまでも、猩々たちがそのように信じている、あるいは期待していると読み取れる場面です。

なぜ、そこまで人間の力を欲しがるのでしょうか。

ここからは考察になりますが、猩々たちは人間に対して、自分たちの力では太刀打ちできないと感じているのかもしれません。

人間は道具を使い、鉄をつくり、森を切り開いていきます。

一方、猩々たちは木を植えても、森を守りきれません。

そんな無力さが、人間の力を手に入れたいという発想につながっているようにも見えます。

猩々たちの恐ろしい言葉の裏には、森を守れないことへの焦りや、力の差に対する絶望が隠れているのかもしれません。

猩々はなぜ木を植え続けているのか?

猩々たちを考えるうえで、最も重要なのが木を植える行動です。

人間を憎み、恐ろしい言葉を口にする一方で、彼らは森を取り戻そうとしています。

ここには、猩々たちの本来の願いが表れているように思います。

彼らが本当に求めているのは、人間を食べることではなく、自分たちが暮らせる森を取り戻すことではないでしょうか。

木を植えても森が戻らない悲しさ

木を植えるという行動は、一見すると穏やかで希望のある行為です。

しかし、猩々たちの木は、人間によって切られてしまいます。

植えても、植えても、森が戻らない。

その繰り返しの中で、猩々たちは人間への憎しみを強めていきます。

ここが、個人的にはとても考えさせられるところです。

猩々たちは、ただ怒っているだけではありません。

自分たちにできることを続けているんですよね。

でも、その努力が報われない。

しかも、相手は自分たちよりも大きな力を持っています。

そう考えると、猩々たちの言葉が荒々しくなる理由も、少し理解できる気がします。

もちろん、人間を襲うことが正しいという意味ではありません。

ただ、彼らの怒りだけを見て、恐ろしい存在だと決めつけるのも違うんちゃうかなと思います。

猩々たちの木を植える行動は希望なのか?

ここからは作品の描写をもとにした考察です。

猩々たちは、人間を憎みながらも、木を植えることをやめていません。

その姿は、森を取り戻すことを諦めていないようにも見えます。

しかし、木を植えるだけでは、人間による伐採を止められません。

彼らの行動には、希望と無力さが同時に表れているのではないでしょうか。

森を取り戻したい。

でも、自分たちだけではどうにもならない。

だからこそ、人間の力を欲しがる。

そう考えると、猩々たちの行動は矛盾しているようで、ひとつの願いにつながっているようにも感じます。

猩々たちは、森を破壊したいのではなく、失われていく森を守りたい存在なのです。

サンが猩々を「森の賢者」と呼ぶ意味とは?

『もののけ姫』で猩々たちについて考えるとき、気になるのがサンとの関係です。

サンは山犬に育てられ、人間でありながら森の側に立って生きています。

そして、猩々たちも人間によって森を奪われている存在です。

本来なら、森を守ろうとする者同士、協力できそうにも思えます。

しかし、猩々たちはサンたち山犬に対しても不満を抱いています。

森を守るために戦っているはずなのに、なぜ仲間同士で対立してしまうのでしょうか。

森の賢者なのに人間を食べようとする矛盾

猩々たちは、森の賢者と呼ばれる存在です。

ところが、作中では人間を食べようとするなど、理性的とは思えない言動も見せます。

この矛盾が、猩々たちの興味深いところです。

賢者と呼ばれるからといって、いつでも冷静で正しい判断ができるわけではないのでしょう。

森を守ろうとする気持ちが強いからこそ、人間への憎しみにとらわれてしまっているようにも見えます。

ここからは考察ですが、猩々たちは森が失われていく現実を理解しているからこそ、絶望も深くなっているのかもしれません。

何も知らなければ、ただ森の中で暮らしていられたでしょう。

しかし、人間が森を壊していることを知り、自分たちの力では止められないことも感じている。

その苦しさが、恐ろしい言葉となって表れているのではないでしょうか。

猩々と山犬はなぜ対立しているのか?

猩々たちは、サンや山犬たちに対して、森を守れないことへの不満をぶつけます。

山犬たちは人間と戦っていますが、それでも森の破壊は止まりません。

猩々たちからすれば、山犬が戦っても人間を追い払えないことに、いら立ちを感じているのでしょう。

一方、山犬たちも命を懸けて森を守ろうとしています。

決して何もしていないわけではありません。

同じ森を守る仲間でも考え方が違う

ここで重要なのは、猩々と山犬が同じ目的を持ちながら、異なる方法で行動していることです。

猩々たちは木を植えて森を取り戻そうとしています。

山犬たちは人間と直接戦い、森を守ろうとしています。

どちらも森を失いたくないという思いは共通しています。

しかし、互いの行動が十分な結果につながっていないため、不満や対立が生まれているように見えます。

これは人間の社会にも通じるところがあるんちゃうかなと思います。

同じ問題を解決したいと思っていても、方法が違えば対立してしまう。

しかも、状況が悪くなるほど、相手のやり方を責めたくなることもあります。

猩々と山犬の関係には、そんな難しさが描かれているように感じます。

猩々はシシ神をどう思っている?森の神への不信感

『もののけ姫』では、シシ神は森の生命に深く関わる存在として描かれています。

しかし、シシ神がいるからといって、森のすべてが守られているわけではありません。

人間は森を切り開き、猪たちは傷つき、山犬たちも戦い続けています。

猩々たちも、森が失われていく現実の中で生きています。

森の神がいても森は守られない

ここからは考察になります。

猩々たちの行動からは、森の神がすべてを解決してくれるわけではないという現実が見えてきます。

シシ神は命を与える存在であると同時に、命を奪う存在でもあります。

人間にとっても、動物たちにとっても、都合のよい願いだけをかなえてくれる神ではありません。

猩々たちは、そんな森の中で、自分たちにできることとして木を植え続けています。

ただし、猩々たちがシシ神を明確に憎んでいる、あるいは信仰を失っていると断定できるわけではありません。

彼らが森の神にどのような感情を抱いているのかは、作中の限られた描写だけでは判断しきれない部分があります。

それでも、神が存在する世界であっても、生き物たちが自分の力で森を守ろうとしているところは印象的です。

猩々が恐れているのは森がなくなること?

猩々たちの言動を振り返ると、彼らが最も恐れているのは、人間そのものというより、自分たちが暮らす森を失うことなのかもしれません。

森がなくなれば、食べ物も住む場所も失われます。

そして、森に生きる者たちの暮らしそのものが成り立たなくなります。

猩々たちにとって、人間による森林の破壊は、単なる環境の変化ではありません。

自分たちの生存に関わる問題なのです。

人間への憎しみは恐怖の裏返しなのか?

猩々たちは、人間を憎み、人間の力を手に入れようとします。

しかし、その行動の奥には、自分たちの世界が失われていくことへの恐怖があるようにも感じられます。

ここからは作品の描写をもとにした解釈です。

人間に勝てない。

木を植えても森は戻らない。

それでも、森を取り戻したい。

そんな状況が続けば、冷静な判断が難しくなることもあるでしょう。

だからといって、猩々たちの暴力的な発想が正当化されるわけではありません。

ただ、恐ろしい言葉を口にする存在にも、その行動に至る背景がある。

『もののけ姫』は、そうした複雑さを感じさせる作品だと思います。

猩々たちは何を象徴しているのか?

『もののけ姫』には、森を守ろうとするさまざまな存在が登場します。

山犬たちは人間と戦い、猪たちは森を奪われることに怒り、猩々たちは木を植え続けています。

それぞれ行動は違いますが、共通しているのは、人間によって変わっていく森を守りたいという思いです。

その中でも猩々たちは、失われたものを取り戻そうとする存在として描かれているように感じます。

努力しても報われない存在としての猩々

猩々たちは、木を植えています。

しかし、人間によって木は切られ、森は失われていきます。

努力を続けても、望んだ結果が得られない。

この姿には、どこか人間にも通じるものがあります。

一生懸命に何かを守ろうとしても、自分ひとりの力ではどうにもならないことがあります。

しかも、相手が大きな力を持っていれば、なおさらです。

そんなとき、怒りや無力感を抱くのは不思議なことではありません。

猩々たちは、森を取り戻すために行動しながらも、その努力が報われない存在として見ることもできるでしょう。

人間と自然は簡単に分けられない

『もののけ姫』が興味深いのは、人間だけを悪者として描いているわけではないところです。

タタラ場の人々も、生きるために鉄をつくり、暮らしを守っています。

一方、森の動物や神々も、自分たちの生きる場所を守ろうとしています。

どちらにも、生きるための理由があります。

しかし、その理由がぶつかり合うことで、争いが生まれてしまいます。

猩々たちも、森を守りたいという願いを持ちながら、人間への憎しみにとらわれています。

だからこそ、単純に正しい側と間違った側を決めることは難しいのでしょう。

猩々たちは、自然を守りたいという願いだけでは争いを止められないことや、失われるものを前にした生き物の無力さを象徴しているようにも見えます。

もちろん、これは作品の描写から読み取れるひとつの解釈であり、宮崎駿監督が猩々に込めた意味として公式に確認されたものではありません。

まとめ|猩々は森を取り戻そうとする悲しい存在

映画『もののけ姫』に登場する猩々について、正体や人間を憎む理由、木を植える行動の意味を考察しました。

猩々たちは、シシ神の森に暮らす猿の姿をした存在です。

人間によって森を奪われることに怒り、木を植えて森を取り戻そうとしています。

しかし、その努力は人間による伐採によって妨げられ、猩々たちは人間への憎しみを強めていきます。

そして、人間を食べれば力を得られると考えるなど、恐ろしい言葉も口にします。

ただし、彼らを単なる悪役として見るだけでは、その行動の背景にある悲しさを見落としてしまうかもしれません。

猩々は、人間を憎みながらも、失われた森を取り戻そうとする存在です。その姿には、自然を守ろうとしても思うようにいかない苦しさが表れているように感じます。

個人的には、猩々たちが木を植え続けているところが印象的です。

怒りを抱えているだけなら、ただ人間を憎む存在として描くこともできたはずです。

でも、猩々たちは森を取り戻すために、自分たちなりの行動を続けています。

それでも森は失われていく。

そう考えると、彼らの恐ろしい言葉の裏には、どうしようもない悲しさもあるんちゃうかなと思います。

『もののけ姫』は、人間と自然のどちらか一方だけが正しいという単純な物語ではありません。

それぞれが生きるために行動し、その結果として誰かの居場所を奪ってしまうこともあります。

猩々たちは、そんな作品の複雑さを感じさせる存在のひとつなのでしょう。

次に『もののけ姫』を見るときは、猩々たちの恐ろしい言葉だけでなく、木を植え続ける姿にも注目してみてください。

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