『となりのトトロ』で、いつも元気に動き、妹のメイを気にかけているサツキ。そんな彼女が、おばあちゃんの前で泣き出す場面があります。
メイには厳しいことを言っていたのに、なぜサツキも泣いてしまったのでしょうか。
サツキが泣く直接の理由は、お母さんの一時帰宅が延期され、母を失うかもしれないという恐怖が抑えられなくなったからです。しっかり振る舞っていても、サツキ自身もお母さんを心配する子どもでした。
この涙は、急に弱くなったことを示すものではありません。それまでの家事や妹への対応を振り返ると、表に出さずに抱えていた不安が見えてきます。
この記事では、おばあちゃんの前で泣く場面を中心に、病院からの連絡、メイとのけんか、サツキの普段の振る舞いをつなげて考察します。
※ここから『となりのトトロ』後半の展開に触れます。
サツキが泣くきっかけは、お母さんの一時帰宅の延期
サツキとメイのお母さんは、療養のために入院しています。二人はお母さんが家へ帰ってくる予定を楽しみにしていますが、病院から連絡を求める電報が届きます。
サツキは、お父さんのいる大学へ電話をかけます。その後、お母さんが風邪をひき、予定していた一時帰宅が延期になったことが分かります。
ここで区別したいのは、お母さんの病状について分かったことと、サツキが恐れたことは同じではないという点です。
帰宅が延期されたからといって、母の死が決まったわけではありません。しかし、サツキには、それまで待ってきた時間と、今回も帰れなくなったという出来事があります。
大人から説明を受けても、心配がすぐ消えるとは限りません。サツキは、お母さんの状態を自分で確かめられないまま、待つ側にいます。
帰ってくると思っていた人が、また帰ってこられない。その知らせが、サツキの中にあった不安を大きくしたと考えられます。
「お母さん、死んじゃったらどうしよう」に表れた本音
おばあちゃんの前で、サツキは「お母さん、死んじゃったらどうしよう」と言い、泣き出します。
この言葉から分かるのは、サツキが悲しんでいるのは、帰宅の予定が変わったことだけではないということです。その奥に、お母さんを失うかもしれないという恐怖があります。
サツキ役の日髙のり子さんは、文春オンラインのインタビューで、この場面を大切なセリフとして挙げています。普段は我慢しているサツキの感情が一気に出る場面として意識し、音響監督からも、その思いを表現するよう求められたと説明しています。
これは演じた本人が語った制作上の情報です。一方、サツキの不安にどんな気持ちが重なっていたかは、作中の描写を踏まえて考える部分になります。
お母さんに会いたい。家に帰ってきてほしい。もう大丈夫だと思いたい。でも、もしそうならなかったらどうしよう。そうした気持ちが、涙の中で重なっているように見えます。
サツキは、お母さんが死ぬと知って泣いたのではありません。分からないからこそ、いちばん怖い可能性を考えてしまったのです。
説明を聞いて理解することと、安心できることは別なんよな。サツキの涙には、そのずれが表れています。
サツキはしっかり者でも、不安がないわけではない
サツキは、朝の支度や弁当作りをし、学校へ通いながらメイのことも気にかけています。家族の暮らしの中で、自分にできることを進んで引き受ける少女です。
そのため、見ている側も、サツキを頼れるお姉ちゃんとして受け取りやすくなります。メイが泣いたり、思い通りにならずに怒ったりすると、サツキが対応する側に回ることが多いからです。
しかし、周囲を支える行動ができることと、自分の心配を解消できることは別です。
食事を用意したり、妹に説明したりしても、お母さんの病気を治すことはできません。サツキがどれだけ頑張っても、帰宅できる日を自分で決めることはできないのです。
日常の中でできることが多いからこそ、どうにもできない問題を前にしたとき、その無力さが強く感じられた可能性があります。
ただし、サツキが家事や妹の世話をすべて嫌がっていた、と決めつける必要はありません。楽しそうに動く場面もあり、メイと一緒に遊ぶ姿も描かれています。
家族が好きで、役に立ちたくて行動している。その気持ちと、疲れたり怖くなったりすることは、同時にあってよいはずです。
泣く場面があることで、それまでのしっかりした姿も違って見えてきます。平気だから動けていたのではなく、心配を抱えながら動いていたのかもしれない、と考えられるのです。
メイとのけんかは、サツキも限界だったことを示す
お母さんの帰宅が延期になり、メイは納得できず、帰ってきてほしいという気持ちを強く表します。サツキは、そんなメイに厳しく対応し、二人はけんかになります。
この場面を、聞き分けのない妹を姉が叱っただけと見ると、サツキ自身の悲しさが見えにくくなります。
サツキも、お母さんに帰ってきてほしいはずです。しかし、メイの前では、延期を受け入れる側に立とうとしています。自分も残念なのに、妹にも事情を分かってもらわなければならない。
その状態では、メイの訴えを落ち着いて受け止める余裕がなくなっても不思議ではありません。
サツキとメイは、反対の願いを持ってけんかしているわけではありません。二人ともお母さんに会いたいのに、その気持ちの出し方が違っています。
メイは会いたい気持ちをそのまま出し、サツキは事情を受け入れようとする。その違いが、姉妹をぶつからせています。
だからといって、サツキの厳しい言い方がメイを傷つけなかったことにはなりません。相手を傷つけてしまうことと、自分も苦しんでいることは、同時に起こります。
いつも面倒を見ているから、いつでも優しくできるとは限らない。サツキの振る舞いには、家族を思う気持ちだけでは受け止め切れない、子どもの限界も表れているように見えます。
サツキがおばあちゃんの前で泣けた意味
サツキが母への恐怖を口にする相手は、近所のおばあちゃんです。おばあちゃんは、引っ越してきた家族を気にかけ、姉妹の暮らしを身近で支えてきた人です。
サツキが泣き出すと、おばあちゃんは受け止め、母の帰宅を一緒に待つよう励まします。サツキに、姉だから泣いてはいけないと要求することはありません。
この場面では、いつもメイに対応しているサツキが、大人に支えてもらう側になります。
サツキにも、自分より大きな誰かに不安を話し、受け止めてもらう時間が必要だった。おばあちゃんとの場面は、そう受け取れます。
ただし、サツキが「おばあちゃんなら泣ける」と意識して選んだかどうかは分かりません。作中で確認できるのは、そばにいたおばあちゃんに不安を打ち明け、涙が出たということです。
それでも、その涙を受け止める大人がいることには意味があります。サツキの怖さをなくすことはできなくても、一人で抱えなくてよい状態にはできるからです。
しっかりしている子に対して、周囲もつい、もう大丈夫だと思ってしまうことがあります。けれど、サツキのように普段は動ける子にも、安心して弱音を出せる相手が必要なのかもしれません。
母を心配する涙と、メイを探すときの涙は違う
おばあちゃんの前で泣いた後、サツキは、メイがいなくなったことを知ります。メイは、お母さんにとうもろこしを届けようと、一人で病院へ向かっていました。
ここから、サツキの不安は新しい方向へ広がります。病院にいる母だけでなく、妹が今どこにいて、無事なのかも分からなくなるのです。
二つの場面は、次のように整理できます。
| 場面 | サツキが直面している不安 |
|---|---|
| おばあちゃんの前で泣く | お母さんが帰ってこられず、母を失うかもしれないという恐怖 |
| メイを探し、トトロに助けを求める | 妹の居場所と安全が分からず、自力では見つけられない切迫した思い |
メイを探すサツキは、道を走り、会う人に妹を見なかったか尋ねます。その姿には、何とか自分で見つけようとする必死さがあります。
けんかで厳しいことを言った後なので、後悔が重なっていた可能性もあります。ただ、サツキが何をどの程度悔やんでいるかまで、本編は細かく説明していません。
ここで明確なのは、サツキがメイを大切に思い、無事を確かめるために動いていることです。けんかをしたことと、妹への思いがなくなったことは、同じではありません。
池のサンダルが、サツキの恐怖を大きくする
捜索の途中、池で子どものサンダルが見つかったという知らせが入ります。サツキは、そのサンダルがメイのものか確認しに行きます。
この時点で、メイが池に落ちたと決まったわけではありません。しかし、捜しても見つからない状況でサンダルが出てきたことは、最悪の可能性を想像させます。
サツキが確認すると、それはメイのサンダルではありませんでした。ひとまず、そのサンダルによって妹の事故が示されたわけではないと分かります。
けれど、メイのサンダルではなかったことと、メイが見つかったことは別です。恐れていた一つの可能性から離れられても、妹の居場所はまだ分かりません。
この場面にも、サツキが向き合っている「分からない怖さ」があります。母の状態を心配したときと同じように、確かめるまで安心できないのです。
サツキはしっかり者ですが、その不安を消せる特別な力を持っているわけではありません。妹を探して動き続ける姿からは、できることを尽くしても届かない苦しさが伝わります。
トトロに助けを求めることは、サツキの弱さなのか
自分ではメイを見つけられないサツキは、トトロに会いに行き、妹を探してほしいと頼みます。トトロはネコバスを呼び、サツキをメイのもとへ向かわせます。
ここでサツキは、自分にはどうすればよいか分からないことを、相手に伝えています。
それは、妹を諦めた行動ではありません。自分だけで探し続ける方法では見つからないときに、別の助けを求める行動です。
サツキが頼れる姉であることと、誰かの助けを必要とすることは両立しています。
おばあちゃんの前では、母を失う怖さを話しました。トトロの前では、自力では妹を見つけられないことを認めます。どちらの場面でも、自分が抱えているものを外へ出しています。
何でも一人でできることだけが、強さではないんよな。サツキの行動を見ると、大切な人のために助けを求めることも、必要な力なのだと考えられます。
もちろん、現実にはトトロやネコバスのような助けがあるとは限りません。それでも、この場面に描かれた「自分だけでは無理だと伝えること」は、人との関係にもつながる視点です。
母の姿を確かめたサツキに戻る安心
メイと再会したサツキは、ネコバスで病院へ向かいます。二人は病室の外から、父と話す母の姿を見ます。
そこで母が無事だと確かめられたことは、サツキの不安を和らげる大きな出来事です。病院からの知らせを聞くだけの状態から、自分の目で母の様子を見られる状態へ変わります。
ただし、この場面で病気が完全に治ったとまでは言えません。母はまだ病院にいて、姉妹が望んだ暮らしがすべて戻ったわけではありません。
それでも、母が話し、笑う姿が見える。サツキにとっては、怖い想像だけが膨らんでいた時間に、安心できる具体的な姿が加わったのです。
映画は、サツキの不安を間違ったものとして笑ったり、泣いたことを責めたりしません。怖かった時間があり、助けられ、少し安心を取り戻す。その流れを描いています。
まとめ|サツキの涙は、しっかり者にも不安があることを見せる
『となりのトトロ』でサツキがおばあちゃんの前で泣くのは、母の一時帰宅が延期され、母を失うかもしれないという恐怖が抑えられなくなったからです。
家事をし、メイに対応できても、母の病気まで自分でどうにかすることはできません。普段の頼れる姿の奥にも、会いたい気持ちや、帰ってこなかったらどうしようという不安がありました。
サツキの涙は、しっかり者でなくなった証拠ではありません。しっかり振る舞っていたサツキも、支えてもらう必要のある子どもだったことを見せています。
おばあちゃんに不安を話し、トトロに妹の捜索を頼む。サツキは誰かに頼りながら、家族を思う気持ちを行動につなげていきます。
いつも頑張っている人ほど、周りからは平気に見えることがあります。サツキが泣く場面は、その見える姿だけで、心の中まで分かったつもりになってはいけないと感じさせる場面ではないでしょうか。

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