『風立ちぬ』菜穂子とは?恋と自分の生き方を選んだ女性を考察

『風立ちぬ』の菜穂子は、どんな女性なのでしょうか。二郎を支える恋人という印象だけでは、療養所を離れて彼のもとへ向かう行動を捉えきれないところがあります。

里見菜穂子は、堀越二郎と恋に落ち、結核を抱えながら彼と結ばれる女性です。療養生活の途中で二郎のいる名古屋へ向かう姿からは、病気に左右される中でも、自分がどう過ごしたいのかを選ぼうとする意思が読み取れます。

ただし、「自分の生き方を選んだ」というのは、彼女の行動に対する解釈です。病気も将来も思いどおりにできる、自由な立場だったという意味ではありません。選べることが限られているからこそ、その中で何を望んだのかが大切になります。

この記事では、菜穂子の基本情報と二郎との関係を整理し、彼女の恋や選択を考えていきます。

※ここから『風立ちぬ』の物語後半に触れるネタバレがあります。

『風立ちぬ』の菜穂子とは?二郎と結ばれる女性

菜穂子の名前は、里見菜穂子。映画では瀧本美織さんが声を担当しています。飛行機の設計に情熱を注ぐ主人公・堀越二郎と出会い、後に彼と結ばれる人物です。

ディズニー公式の作品紹介でも、二郎の人生を描く重要な要素として、菜穂子との出会いと別れが挙げられています。

参考:ディズニー公式:『風立ちぬ』作品紹介・キャスト

物語の中心には、二郎の飛行機づくりがあります。しかし、菜穂子との関係に目を向けると、仕事の進展とは別の時間が流れていることが分かります。

飛行機の設計では、完成に向かって試行錯誤を重ねていきます。一方、菜穂子との暮らしは、望めばいつまでも続けられると約束されたものではありません。

ここからは考察ですが、菜穂子は二郎にとって、夢を追う時間と、大切な人と過ごす時間が同じではないことを浮かび上がらせる存在ともいえます。

仕事が一区切りついたら、ゆっくり一緒に過ごそう。その考え方が通用するとは限らない。菜穂子の存在によって、二郎の人生には、飛行機の完成を待ってくれない時間もあることが見えてきます。

菜穂子と二郎の関係は、出会いと再会から始まる

二郎と菜穂子は、関東大震災に遭遇する列車の旅で出会います。その後、高原のホテルで再会し、恋愛関係へと進んでいきます。

出会いについては、国際交流基金などが運営する日本映画データベース「JFDB」で確認できます。また、新潮社の映画紹介でも、高原のホテルが二人の再会と、その後の恋愛につながる場所として説明されています。

参考:JFDB:『風立ちぬ』/新潮社:ジブリ映画「風立ちぬ」を深く理解するための新潮文庫4作品

こうした出会いと再会には、運命的な恋の印象があります。ただ、二人の関係を考えるうえでは、再会できたことだけでなく、そこから一緒に生きようとすることに目を向けたいところです。

偶然に出会うことと、相手との関係を選び続けることは違います。菜穂子には病気があり、二郎には打ち込んでいる仕事がある。好きだという気持ちがあっても、それだけで生活上の難しさが消えるわけではありません。

二人の恋は、障害のない場所で育つ恋ではなく、それぞれの事情を抱えたまま近づいていく関係です。

だからこそ、菜穂子を「二郎に愛された女性」とだけ説明すると、彼女が自分から二郎へ向かう部分が見えにくくなります。彼女もまた、この関係を望み、そのために行動する側なのです。

療養所を離れた菜穂子は、何を選ぼうとしたのか

菜穂子の意思を考えるうえで重要なのが、サナトリウムと呼ばれる療養所を離れ、二郎のいる名古屋へ向かう行動です。

新潮社の解説では、映画の菜穂子が療養所を抜け出し、汽車で名古屋へ向かう展開が明記されています。彼女は、ただ二郎の迎えを待っているわけではありません。

ただし、この行動から「治療を望んでいなかった」「命より恋を選んだ」とまで断定するのは慎重であるべきでしょう。誰かと一緒にいたい気持ちと、病気を治したい気持ちは、必ずしも片方しか持てないものではないからです。

菜穂子の選択は、「生きることを諦めた」と見るより、「今ある時間をどう生きたいかという願いが表れた」と読むことができます。

もちろん、これは彼女の行動への解釈であり、療養所を離れることが医学的に正しいという話ではありません。映画の中の選択を、そのまま現実の療養の手本にすることもできません。

それでも、菜穂子の側に立って考えると、療養している時間も彼女自身の人生であることに気づきます。病気の経過を待つ時間であると同時に、人に会いたい、好きな人の近くにいたいと願う時間でもあります。

「元気になってから」まで、気持ちは待ってくれるのか

体調がよくなってから。状況が落ち着いてから。そう考えて何かを先へ延ばすことには、理由があります。無理をしないためにも、準備を整えるためにも、待つことは大切です。

ただ、菜穂子の場面では、待った先の未来が確実には見えていません。その中で、二郎に会いたいという現在の願いが、彼女を動かしたと考えられます。

「ちゃんと元気になってから」と考える気持ちも分かる。でも、その日がいつ来るか分からない本人にとっては、今会いたい気持ちも切実なんよな。そんな矛盾が、この行動には重なっています。

ここを単純に、勇気のある決断として称賛するだけでは、病気の厳しさが抜け落ちてしまいます。反対に、無茶な行動として片づけるだけでは、菜穂子の願いが見えなくなります。

体を守ることと、自分が望む時間を過ごすこと。その両方を願いながら、どうすればよいかを簡単には決められない。菜穂子の選択には、そうした難しさがあるのではないでしょうか。菜穂子は「二郎を支える女性」だけで説明できるのか

菜穂子を二郎の側から見ると、飛行機づくりに打ち込む彼を支える女性として捉えられます。ただ、彼女自身を主語にすると、少し違う人物像が見えてきます。

療養所を離れて二郎のいる名古屋へ向かうのは、菜穂子自身の行動です。二郎の仕事に役立つためという説明だけでは、彼女がそこまでして会いに行く理由を捉えきれません。

菜穂子にも、好きな人に会いたい、一緒の時間を過ごしたいという、彼女自身の願いがある。そう読むことで、二郎の人生における役割だけではない、一人の人間としての姿が見えてきます。

誰かを支えることと、自分の望みを持つことは両立します。二郎の夢を大切にする気持ちがあったとしても、それだけで菜穂子の人生が説明できるわけではありません。

恋人や妻という立場から少し離れて、「菜穂子は何を望んでいたのか」と問い直す。その見方が、この人物を考えるうえでは大切なのではないでしょうか。

相手を好きだからこそ、望みが一致するとは限らない

二郎には飛行機をつくる夢があり、菜穂子には彼と過ごしたい時間があります。二人が互いを大切に思っていても、それぞれの願いが、いつも同じ方向を向くとは限りません。

仕事を進めるためには時間が必要です。一方、一緒に過ごす時間も、後からまとめて取り戻せるものではありません。菜穂子の病気があることで、その難しさはいっそう切実になります。

ここからは二人の関係への考察ですが、愛があることと、相手の望みを十分に満たせることは、別の問題として描かれているように見えます。

好きやから全部うまくいく、とはならへんのよな。むしろ好きだからこそ、相手の夢を止めたくない気持ちと、自分のそばにいてほしい気持ちが、同時に生まれることもあるのかもしれません。

ただし、菜穂子がどの場面でもそう考えていたと断定することはできません。映画に表れている行動と、そこから想像できる葛藤を分けながら見る必要があります。

映画の菜穂子と、堀辰雄の小説の人物は分けて考えたい

菜穂子を調べるときには、映画『風立ちぬ』と、堀辰雄の小説『風立ちぬ』『菜穂子』を混同しないことも大切です。

新潮社の解説では、小説『風立ちぬ』の恋愛と療養の物語が映画後半の骨格になっていると説明されています。また、小説『菜穂子』と映画の双方に、ヒロインが療養所を離れて汽車で移動する展開があることも指摘されています。

ただし、同じ解説でも、小説『菜穂子』が映画の重要な背景になっているという部分は、執筆者の見解として述べられています。これを、そのまま監督本人が語った制作意図として扱うことはできません。

参考:新潮社:ジブリ映画「風立ちぬ」を深く理解するための新潮文庫4作品

文学作品とのつながりを知ることは、映画の理解を広げます。しかし、小説の人物の経歴や心理を、そのまま映画の菜穂子の設定に置き換えることはできません。

例えば、映画の菜穂子がなぜ二郎に会いに行ったのかを考えるなら、まず映画で確認できる行動を出発点にする。そのうえで、小説との共通点を補助的に見るほうが、人物像を取り違えずに考えられます。

「自分の生き方を選んだ」と読むときに残る難しさ

この記事では、菜穂子を、自分の生き方を選ぼうとする女性として考えてきました。ただ、その言葉だけで彼女の境遇を明るくまとめてしまうことはできません。

菜穂子は、病気になるかどうかを選べたわけではありません。健康であれば持てたかもしれない選択肢が、病気によって狭められています。

その状況で二郎のもとへ向かう行動を取ったとしても、それが十分に自由な選択だったのか、ほかの道ならどうなったのかは、簡単には判断できません。

菜穂子の意思を尊重することと、彼女が選ばざるを得なかった状況の厳しさを見ることは、両方必要です。

「自分で決めたのだから、それでよかった」と言い切ると、その決断に伴う寂しさや迷いまで消してしまいます。反対に、周囲から見て心配な選択だからといって、本人の願いをなかったことにもできません。

自分やったら、好きな人の望みをどこまで受け止められるやろ。そばにいてほしい気持ちと、体を大切にしてほしい気持ちがぶつかったとき、何を言えるやろ。菜穂子の行動は、彼女だけでなく、相手を大切に思う側の難しさも考えさせます。

映画から一つの正解を取り出すより、本人の願いと周囲の心配が、どちらも切実であり得ることを受け止めたいところです。

まとめ|菜穂子は、限られた状況の中で自分の願いを持つ女性

『風立ちぬ』の里見菜穂子は、二郎と出会い、結核を抱えながら彼と結ばれる女性です。声は瀧本美織さんが担当しています。

彼女の人物像を考えるうえで重要なのが、療養所を離れ、自ら二郎のいる名古屋へ向かう行動です。そこには、二郎を支える役割だけでは説明できない、彼女自身の願いが読み取れます。

菜穂子は、何もかも自由に選べた女性ではありません。それでも、自分が誰と、どんな時間を過ごしたいのかを願い、行動した人物として捉えることができます。

その選択を美しい恋として受け止めながらも、病気によって選べる道が狭められた厳しさは残ります。菜穂子を「二郎のために生きた人」とだけまとめず、彼女自身が望んだ人生にも目を向けることで、この恋の見え方は変わってくるのではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました