『火垂るの墓』は、いつの時代の話なのでしょうか。戦争中の物語という印象はあっても、空襲と終戦、兄妹の暮らしがどの順番で重なるのか、分かりにくいところもあります。
『火垂るの墓』で描かれる兄妹の暮らしは、主に1945年、昭和20年の夏から初秋にかけてのものです。太平洋戦争の末期から、終戦直後の混乱期にあたります。
舞台は兵庫県の神戸や西宮。清太と節子は、空襲によって生活の基盤を失い、戦争が終わる前後の時期を生きようとします。
時代を整理するうえで大切なのは、終戦を迎えても、失った家や食料、人とのつながりがすぐに戻ったわけではないという点です。戦争の終結と、一人ひとりの暮らしが立ち直ることには、時間の隔たりがあります。
この記事では、1988年公開のアニメ映画『火垂るの墓』を対象に、作中の時期と歴史上の日付を分けながら、1945年の終戦前後を整理します。
※ここから『火垂るの墓』の冒頭と結末に関するネタバレを含みます。
『火垂るの墓』は1945年、昭和20年の話
映画の時代設定は、第二次世界大戦が終わる1945年です。日本の元号では昭和20年にあたります。
ディズニー公式の作品紹介でも、昭和20年の神戸が空襲で焼け野原となり、母を亡くした清太と節子が暮らしていく物語として説明されています。
また、日本テレビの紹介では、戦争末期から戦後の混乱期を生きる14歳の少年と4歳の少女の物語とされています。
出典:日本テレビ「金曜ロードシネマクラブ」『火垂るの墓』紹介
つまり、「戦争中の話」という説明だけでは、時代の範囲を十分に表せません。戦争が続いている時期と、終わった直後の時期の両方にまたがる物語です。
映画が公開された年と、物語の年は違う
『火垂るの墓』のアニメ映画が公開されたのは1988年です。一方、兄妹が暮らしているのは1945年なので、公開年と物語の時代は分けて考える必要があります。
映画公開時には、すでに1945年から43年が経過していました。高畑勲監督は、戦争を知らない世代も見る時代に、兄妹の暮らしをアニメーションで描いたことになります。
作品情報にある「1988年」という数字は製作・公開に関する情報であり、清太と節子がその年に暮らしていたという意味ではありません。
空襲と終戦はいつ?物語を読むための日付を整理
時代の流れをつかむには、兄妹の生活に関わる空襲と、日本の終戦に関する日付を並べると分かりやすくなります。
| 時期 | 出来事 | 区別したいこと |
|---|---|---|
| 1945年6月5日 | 神戸への空襲。公式人物紹介では、清太の家がこの日に焼けたとされる | 作中の生活が変わるきっかけ |
| 1945年8月15日 | 玉音放送によって、国民に戦争の終結が伝えられる | 歴史上の終戦に関する日付 |
| 1945年9月2日 | 日本が降伏文書に調印する | 8月15日の放送とは別の出来事 |
6月5日の設定は日本テレビの公式人物紹介、8月15日と9月2日の出来事は、国立国会図書館の年表で確認できます。
出典:日本テレビ『火垂るの墓』清太の人物紹介
国立国会図書館「史料にみる日本の近代」年表
ただし、この表にある歴史上の出来事すべてが、映画の中で同じ詳しさで描かれるわけではありません。物語の時代を理解するための背景として整理しています。
清太の家が焼けたのは、終戦より前
日本テレビの公式紹介では、清太がもともと住んでいた家は武庫郡御影町、現在の神戸市東灘区にあり、1945年6月5日の空襲で焼けたとされています。
この時点では、まだ戦争は続いています。兄妹は、戦争が終わって落ち着いた社会の中で生活を始めたわけではありません。
家を失ったあとも、先が見通せない状況が続いています。そうした時期に、親戚宅へ身を寄せ、さらに二人での暮らしへ移っていくのです。
物語を結末から振り返る観客は、もうすぐ終戦になると知っています。けれど、その時代を生きる兄妹が、私たちと同じ見通しを持っているわけではありません。この違いも、考えておきたいところです。
8月15日の終戦と、生活の立て直しは別のこと
日本では、8月15日が終戦の日として知られています。1945年のこの日、玉音放送によって戦争の終結が国民に伝えられました。
その後、9月2日に降伏文書への調印が行われます。日付が二つあるのは、同じ出来事を別の日に数えているためではなく、それぞれ異なる段階を示しているためです。
一方、終戦という歴史の区切りがあっても、空襲で失われた暮らしが、その日に元通りになるわけではありません。
『火垂るの墓』を考える際も、終戦の日を境に、兄妹の困難が解消されたと捉えることはできません。家族や住まいを失った影響は、その後の生活にも残ります。
戦争が終わることは、暮らしを立て直すための大きな転換です。しかし、それぞれの人が実際に助かり、生活を取り戻せるかどうかは、別に考える必要があります。
年表なら、出来事は日付で区切れます。でも、人の暮らしまで、そこで切り替わるわけやないんよな。この時間のずれを意識すると、終戦前後を描く物語の重さが、少し違って見えてきます。1945年の暮らしは、映画のどこに表れている?
『火垂るの墓』では、戦争の時代が戦闘の場面だけで示されるわけではありません。住む場所、食べ物、学校、家族との連絡など、生活のさまざまな部分に影響が表れています。
日本テレビの公式人物紹介では、清太は中学3年生ですが、学校が空襲で焼けたため、通っていないと説明されています。また、海軍にいる父親とは、戦局が激しくなる中で連絡が途絶えています。
出典:日本テレビ「金曜ロードシネマクラブ」『火垂るの墓』登場人物紹介
学校へ行く、家に帰る、家族の無事を確かめる。普段なら生活の土台になるものが、清太の周囲では安定していません。
1945年という時代を理解するには、空襲の恐ろしさとともに、空襲のあとに生活を続ける難しさにも目を向ける必要があります。
ただし、清太たちの状況が、そのまま当時のすべての子どもに当てはまるわけではありません。住んでいた地域や被害、家族の状況によって、経験には違いがあります。映画が描いているのは、その時代の中に置かれた一組の兄妹の暮らしです。
食べ物の問題が、人間関係にも関わってくる
公式あらすじでは、兄妹が身を寄せた親戚宅で、食料や着物が底をつき始めるにつれて、清太とおばさんの関係も悪くなっていくと説明されています。
ここからは、食べ物の不足が、空腹だけにとどまらない問題として描かれていると読み取れます。同じ家で暮らす人同士の負担や、不満にも関わってくるからです。
もちろん、食料が足りなければ誰もが同じ態度を取る、という意味ではありません。また、時代が厳しかったことだけで、人物の言動をすべて説明することもできません。
それでも、今と同じ条件で食料を確保できると考えてしまうと、作中のやり取りを見誤る可能性があります。人物の選択を考える前に、その人たちがどんな生活条件の中にいたのかを確かめたいところです。
「もっとこうしたらよかったのに」と思う場面でも、その方法を実際に取れる状況だったのかは別なんよな。時代を知ることは、人物の行動を考えるための足場になります。
冒頭は1945年9月21日――物語は時間をさかのぼる
『火垂るの墓』の時間の流れで、もう一つ押さえておきたいのが、冒頭で清太の死が示されることです。その日付は、昭和20年9月21日です。
映画の脚本を収録した新潮社の書籍『火垂るの墓』の紹介でも、昭和20年9月21日に、駅で一人の少年が命を落とすところから作品が紹介されています。
参考:紀伊國屋書店『火垂るの墓』書籍紹介(野坂昭如・原作、高畑勲・脚本)
そのあと、映画は兄妹がそこに至るまでの暮らしを描いていきます。画面に出てきた順番が、そのまま出来事の起きた順番ではありません。
冒頭は終戦後の9月。その後に描かれる兄妹の生活は、それより前の空襲や夏の暮らしへさかのぼる。この構成を押さえると、時代の位置関係が整理できます。
清太の死が9月21日であることは、兄妹の問題が、8月15日という区切りだけでは解消されなかったことも示しています。終戦を知る私たちの感覚と、当時の生活の回復には、距離があるのです。
主な出来事は、長い年月ではなく一つの夏に集中する
清太の家が焼けた6月5日から、冒頭で示される9月21日までは、約3か月半です。
映画は、その間の毎日を同じ細かさで描いているわけではありません。したがって、日付が示されない場面まで、正確に何月何日と割り振ることは避けたいところです。
ただ、大きな流れとしては、長年にわたる成長の物語ではなく、一つの夏を中心とした短い期間に、兄妹の生活が大きく変わっていく物語だと分かります。
その短さを意識すると、家を失い、暮らす場所が変わり、食べ物を求めることになる変化の速さも見えてきます。二人が新しい状況に慣れる前に、次の困難が重なっていたと受け取ることもできるでしょう。
最後の街並みも、1945年の風景なのか
兄妹の生前の暮らしは1945年ですが、映画に映るすべての風景を、その年だけに当てはめる必要はありません。
ラストには、兄妹の姿とともに、戦後に発展した神戸の街並みが示されます。nippon.comの作品論でも、過去の風景に、映画公開当時の現代が重なる演出として説明されています。
参考:nippon.com「『火垂るの墓』―高畑勲の徹底したリアリズムと“拡張現実”の視点」
ここでいう現代は、1988年の映画公開当時を基準とするものです。兄妹が生き延びて、その時代まで成長したことを示す場面ではありません。
つまり、「いつの話か」という疑問には、兄妹が生きた主な時期は1945年であり、映画の表現には、その後の時代を重ねる場面もあると整理するのがよいでしょう。
この時間の重なりには、兄妹の暮らしを遠い過去だけに閉じ込めず、その後も続いた街と結びつける働きがあると考えられます。ただし、それは映像からの解釈として、時代設定の事実とは分けておきたいところです。
まとめ|『火垂るの墓』は1945年の終戦前後を描く物語
『火垂るの墓』で描かれる兄妹の暮らしは、主に1945年、昭和20年の夏から初秋にかけてのものです。神戸への空襲から、終戦直後までの時期に重なります。
- 清太の家は、公式人物紹介では1945年6月5日の空襲で焼けたとされる。
- 8月15日には、玉音放送によって戦争の終結が国民に伝えられた。
- 9月2日には、日本が降伏文書に調印した。
- 映画の冒頭では、9月21日の清太の死が示される。
物語を理解するうえで大切なのは、戦争が終わった日と、人々が暮らしを取り戻せた時期は同じではないということです。
1945年という数字の中には、家や学校を失い、そのあとも生活を続けなければならなかった人たちの時間があります。清太と節子の物語を通して、その一日一日へ目を向けることが、時代を知る入り口になるのではないでしょうか。

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