遠藤和さんの日記には何が書かれている?原作の内容を紹介

遠藤和さんの日記には、何が書かれているのでしょうか。『ママがもうこの世界にいなくても』の原作について調べると、病気の記録だけなのか、家族への言葉も残されているのかが気になるところです。

遠藤和さんの日記には、がんと向き合う日々とともに、夫との結婚、妊娠・出産、娘の成長を喜ぶ気持ち、家族と離れる寂しさが綴られています。その記録を収めた本が、『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』です。

病気になった人の人生を、病気のことだけで説明することはできません。和さんにも、好きな人がいて、家族との暮らしがあり、娘と一緒にやりたいことがありました。出版社が公開している日記の一部からも、その生活が伝わってきます。

この記事では、小学館の公式書籍紹介、公式特設サイトで公開されている日記、公開目次をもとに、原作の内容を紹介します。書籍全編の読後レビューではなく、確認できる内容と、そこから考えられることを分けて整理します。

※この記事では、遠藤和さんの闘病と最期に関する情報に触れます。映画独自の場面や結末を解説する記事ではありません。

遠藤和さんの日記が収められた原作はどんな本?

原作の著者は、遠藤和さんです。「和」は「のどか」と読みます。単行本『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は、小学館から2021年12月1日に発売されました。

小学館の紹介によると、和さんは21歳でステージⅣの大腸がんを告げられ、22歳で将一さんと結婚、23歳で娘を出産しました。そして2021年9月、24歳で亡くなっています。

日記は、亡くなる10日前まで書き続けられたものです。基本情報と内容紹介は、小学館の公式書籍ページで確認できます。

本書は、架空の人物を主人公にした小説ではなく、和さん本人が残した日記をもとにした記録です。映画を理解するときにも、実際に残された文章と、映像作品としての表現は分けて考える必要があります。

日記には、その日、その時点で感じていたことが書かれます。未来の出来事をすべて知ったうえで語る物語とは、言葉の立っている場所が違うのです。

読む側は和さんのその後を知っていても、書かれた言葉の中には、これから娘と過ごしたい時間があります。その違いを意識すると、日記を単なる出来事の一覧としては受け取れなくなります。

原作に収められているのは、闘病だけではなく家族の歩み

公開されている文庫版の目次では、将一さんとの関係、がんの告知、結婚、妊娠、出産、余命宣告、最期に近い時期の日記が扱われています。

また、目次の最初には出産後の時期が置かれ、その後に以前の出来事を扱う章が続きます。公開目次を見る限り、出会いから最期までを単純に時系列で並べただけの構成ではありません。

目次は、出版書誌データベースの文庫版書籍情報で確認できます。

こうした内容から、本書では、病気と向き合う時間と、妻や母として過ごす時間が重なっていることが分かります。病気が生活に大きな影響を及ぼしていても、その人の関心が病気だけになるわけではありません。

結婚や子育ての喜びがあり、その一方で治療や別れへの不安もある。どちらか一方だけを取り出すと、和さんの暮らしを狭く捉えてしまう可能性があります。

「つらい記録」か「幸せな記録」か、どちらかに決めなくてもよいのかもしれません。喜びと寂しさが同じ日々の中にあることに、この日記の大切な部分が見えてきます。

公開された日記にある、娘と料理をしたいという願い

小学館の公式特設サイトには、6月29日の日記の一部が掲載されています。そこには、成長した娘と一緒に台所に立ち、家庭の料理を教えたいという願いが書かれています。

公開されている文章は、小学館『ママがもうこの世界にいなくても』公式特設サイトで読むことができます。

この願いを考えるとき、注目したいのは、一緒に過ごす未来がとても具体的なことです。ただ長く生きたいという言葉だけでなく、台所に並び、料理を教えるという時間が思い描かれています。

料理を教えるには、同じ場所にいて、手順を見せ、味を確かめる時間が必要です。そのやり取りには、家族の暮らしそのものがあります。

特別な旅行や大きな出来事でなくても、誰かと一緒に料理をすることが、かけがえのない願いになる。こういうところに、残されている時間の意味が表れるのかもしれません。

和さんが望んでいた未来の一つは、娘と日常を重ねていくことだったと読み取れます。これは公開された日記をもとにした解釈であり、和さんの願いのすべてを説明するものではありません。

子育ての喜びと、入院で離れる寂しさが同じ日に書かれている

同じ日の日記には、娘の反応や成長を喜ぶ気持ちと、翌日からの入院を前に、離れることを寂しく感じる気持ちが記されています。

ここでは、子どもと過ごす楽しさを感じていることと、病気によってその時間が制限されることが、隣り合っています。

娘の成長を喜べば、それだけ、これからの姿も見たくなるでしょう。その喜びがあるからこそ、離れる時間がつらくなることも考えられます。幸せと悲しさは、必ずしも反対側にあるものではないんやろなと思わせる部分です。

ただ、こうした日記を「母親ならこう思うべきだ」という基準にする必要はありません。これは和さんが、その日に残した気持ちです。別の人にも同じ感じ方を求めるものではありません。

一人の人が何を喜び、何を寂しく思ったのかを、その人の言葉として受け止める。原作の内容を紹介するうえでは、その姿勢を大切にしたいところです。

では、こうした言葉は、残された家族にとってどのような記録になるのでしょうか。後半では、日記に残る家族への思いと、文庫版に加えられた内容を整理します。日記は、母親がどんな人だったのかを知る手がかりになる

小学館は本書を、娘と夫に残された愛の記録として紹介しています。日記に書かれた生活や気持ちは、家族が和さんという人を知り、思い返すための手がかりにもなると考えられます。

写真には、そのときの姿が残ります。日記には、写真だけでは分からない、その日の関心や願いが残ります。何を楽しみにしていたのか。どんな時間を一緒に過ごしたかったのか。文章があることで、出来事の内側に触れることができます。

幼い頃の記憶は、すべてを自分で覚えておけるものではありません。そのため、残された文章を通して、後から家族の気持ちを知ることには意味があるでしょう。

ただし、娘さんが実際に日記をどう読み、何を感じているのかは、ここで確認した資料だけでは分かりません。「日記を読んで励まされた」などと、本人の反応を想像で書くことはできません。

確認できるのは、和さんの言葉が本として残されていることです。その言葉が家族にとってどのような意味を持つかは、外から一つに決められるものではないでしょう。

夫・将一さんの言葉から分かる、本書を読むときの視点

小学館の公式特設サイトには、夫の将一さんによる紹介文も掲載されています。将一さんは、本書をつらさだけの記録として捉えず、和さんが日々の幸せを大切にしながら生きたことに目を向けています。

これは、和さんの日記を紹介するうえで大切な視点です。病気や若くして亡くなった事実だけに注目すると、その人が生きていた時間の豊かさを見落としてしまうからです。

一方で、幸せだったという側面だけを強調して、苦しさを小さく扱うこともできません。公開された日記にも、家族と離れる寂しさが記されています。

大切なのは、幸せがあったことによって、つらさまでなかったことにしないこと。そして、つらい状況にあったことによって、喜びまで消してしまわないことです。

人の暮らしは、どちらか一方だけでは説明しきれないんやろな。将一さんの紹介文と公開された日記を合わせると、和さんを「病気と闘った人」としてだけでなく、家族との生活を大切にした一人の人として読む視点が得られます。

単行本と文庫版の違いは?家族のその後を記した特別寄稿

『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』には、2021年発売の単行本と、2026年発売の文庫版があります。

文庫版には、娘と父のその後の5年間を綴った、約1万8000字の特別寄稿が追加されています。公開目次では、この寄稿の題名は「あの日から、僕らは」となっています。

版による違いを、確認できた範囲で整理すると次のとおりです。

版内容を確認するときのポイント
単行本2021年に刊行された、和さんの日記を収めた書籍
文庫版2026年に刊行。娘と父のその後を記した特別寄稿を追加

追加内容は、小学館の公式特設サイトで案内されています。原作を探す際は、同じ題名でも、どちらの版なのかを確認すると内容の違いが分かります。

ここで区別したいのは、和さん本人の日記と、その後の家族について書かれた寄稿は、別の文章だということです。和さんが亡くなった後の出来事を、本人の日記に書かれた内容として紹介することはできません。

文庫版では、和さんが残した記録に加えて、残された家族が過ごしてきた時間にも触れられる構成になっています。ただし、寄稿全文の具体的な出来事については、今回確認した公開情報だけで詳しく紹介することは控えます。

原作の内容を確かめたい人は、公式の試し読みから

出版社の内容紹介で本の概要は分かりますが、日記の語り方や文章の雰囲気は、実際の文章に触れることで確かめられます。

小学館の公式特設サイトには、本文の一部に加えて、試し読みへの案内があります。文庫版の試し読みについては、「はじめに」と、新たに収録された特別寄稿の一部を読めると説明されています。

試し読みで公開されている部分と、書籍全体の内容は分けて考えましょう。一部の文章が印象的でも、それだけで全編の感情や構成まで判断することはできません。

また、映画の原作として興味を持った場合も、日記の文章がそのまま映画のセリフや場面になっているとは限りません。原作に書かれた事実と、映画でどのように表現されているかは、それぞれ確認する必要があります。

まず公開されている文章を読み、自分が知りたいのは和さん本人の言葉なのか、家族のその後なのかを考えると、本への関心も具体的になるでしょう。

まとめ|遠藤和さんの日記には、家族と生きる日々が残されている

遠藤和さんの日記には、病気と向き合う経過だけでなく、結婚、妊娠・出産、子育て、家族との時間を大切にする気持ちが綴られています。

公式に公開された文章では、娘と過ごす未来への願いや、成長を喜ぶ気持ち、入院を前にした寂しさが確認できます。そこからは、闘病中にも続いていた、母親としての暮らしが見えてきます。

『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は、和さんが何に心を動かし、どんな時間を望んでいたのかを、本人の言葉から知るための本です。

文庫版には、その後の娘と父の暮らしを記した特別寄稿も加わっています。和さんの日記を知りたいのか、家族のその後にも触れたいのかによって、確認する版を選べます。

日記を通して考えられるのは、何か大きなものを残すことだけが、家族への贈り物ではないということです。一緒に過ごした時間をどう感じていたのか。その言葉も、その人を知る大切な手がかりになるのかもしれません。

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