『火垂るの墓』舞台はどこ?神戸と西宮、兄妹が暮らした町

『火垂るの墓』に登場する、空襲に襲われる町や、兄妹が暮らす池のほとり。「あれは日本のどこなのか」「実在する場所なのか」と気になった方もいると思います。

物語の主な舞台は、兵庫県の神戸と西宮です。兄妹がもともと暮らしていた神戸の御影周辺と、親戚を頼って移った西宮が、生活の変化と結びついています。

西宮市の満池谷町にあるニテコ池も、『火垂るの墓』ゆかりの場所として知られています。ただし、原作小説の舞台と、アニメ映画で描かれた風景、現在残る場所は、区別して確認したいところです。

この記事では、1988年公開のアニメ映画を中心に、神戸と西宮が物語の中でどのような場所なのか、自治体などの資料をもとに整理します。

※ここから『火垂るの墓』の序盤と、兄妹の暮らしの変化に触れます。

『火垂るの墓』の舞台は兵庫県の神戸と西宮

まず、物語の舞台を一つの町だけで考えないことが大切です。清太と節子は、同じ場所で暮らし続けるのではなく、空襲によって住まいを失い、生活の拠点を移します。

大きく整理すると、次のようになります。

地域・場所物語との関係
神戸・御影周辺清太と節子が、もともと家族で暮らしていた地域
西宮家を失った兄妹が、親戚のおばさんを頼って移る地域
西宮・満池谷、ニテコ池周辺『火垂るの墓』の舞台として、自治体などが紹介するゆかりの地域

日本テレビの公式人物紹介では、清太の家があった場所を、当時の武庫郡御影町、現在の神戸市東灘区と説明しています。また、おばさんについては、西宮に住む父方の遠い親戚と紹介しています。

出典:日本テレビ「金曜ロードシネマクラブ」『火垂るの墓』人物紹介

「神戸の話」と覚えていても間違いではありませんが、兄妹の暮らしを追うなら、西宮も欠かせない舞台です。

神戸の御影は、兄妹が失った日常のある町

御影は、現在の神戸市東灘区にある地域です。清太と節子の家があった当時と現在では、行政上の地名が異なります。

公式人物紹介によると、兄妹の住まいは1945年6月5日の神戸空襲で焼けてしまいます。御影は、作品に登場する地名というだけでなく、二人がそれまでの生活を失う場所でもあります。

ここからは、舞台と物語の関係についての考察です。

住んでいた町が焼けるということは、家という建物だけを失うことではありません。いつもの道や、家族で過ごす場所、帰れば誰かがいる感覚まで、大きく変わってしまうことです。

御影という具体的な地域を知ると、空襲を「昔のどこかで起きた出来事」として遠ざけにくくなります。人が暮らしていた町で、その日まで続いていた生活が壊れた。舞台を確認することには、その実感を取り戻す意味もあるのではないでしょうか。

御影公会堂や石屋川公園にも、作品ゆかりの場所がある

神戸側のゆかりの場所として挙げられるのが、御影公会堂と、その近くの石屋川公園です。

兵庫県の公式ページでは、御影公会堂に残る戦争の痕跡とともに、建物南側の石屋川公園内にある、映画『火垂るの墓』のモニュメントが紹介されています。また、この周辺は空襲時に多くの人が避難してきた場所でもあります。

出典:兵庫県「戦争の記憶と教訓の継承」

ここでは、映画の舞台を知ることと、現実の戦争の記憶に触れることが重なっています。

ただし、記念碑がある位置を、そのまま清太たちの家の所在地や、特定の場面の正確な位置と考えることはできません。作品を記憶するための場所と、作中の出来事が設定された場所は、分けて見る必要があります。

西宮は、兄妹が新しい生活の拠点を探す町

家を失った清太と節子が頼るのは、西宮に暮らす親戚のおばさんです。兄妹にとって、西宮は最初から二人だけで暮らすために選んだ町ではありません。

まず、親戚の家に身を寄せる。その後、共同生活の関係が悪くなり、二人は家を離れます。

この順序を押さえると、西宮という舞台の意味も見えてきます。神戸が失われた日常の場所だとすれば、西宮は、その後の生活をどう続けるかを迫られる場所として読むことができます。

住む場所が変われば、暮らし方も、人との関係も変わります。兄妹の場合、その移動は新生活への期待から始まったものではなく、空襲によって必要になった移動でした。

地図では町から町への移動でも、二人にとっては、それまで当たり前だった生活の条件が変わることなんよな。舞台を地域ごとに分けると、物語の中で何が失われ、何に頼ろうとしたのかを追いやすくなります。

ニテコ池はどこ?西宮市満池谷町にある実在の池

ニテコ池は、西宮市満池谷町に実在する池です。

西宮市は、ニテコ池を野坂昭如さんの小説『火垂るの墓』の舞台として紹介しています。兵庫県の公式観光サイトでも、作品に登場する兄妹と池の関係が説明されています。

出典:西宮市「秋蛍 祈る平和や ニテコ池」/兵庫県公式観光サイト「ニテコ池」

ただし、実在の池が舞台として紹介されていることと、映画の風景が現在の現地と一対一で一致することは別です。

とくに、兄妹が暮らす横穴壕については、作品との関連がある地域だと分かっても、穴の正確な位置や現在の状態まで同じ確度で断定できるわけではありません。

「この池がゆかりの場所なんだ」と知るところから始め、具体的な地点の話は、資料で確認できる範囲を一つずつ見ていく。そのほうが、映画と実際の土地の両方を大切にできると思います。原作の舞台と、アニメ映画の風景はどう違う?

『火垂るの墓』の舞台を調べると、原作小説についての説明と、アニメ映画についての説明が並んで出てきます。

どちらも作品を知る手がかりになりますが、小説に登場する土地の情報を、そのまま映画の一場面の所在地として使うことはできません。

たとえば、西宮市がニテコ池を紹介する際は、野坂昭如さんの小説の舞台であることを明記しています。これは池と作品の関係を確認できる情報ですが、映画で見える道や建物、横穴壕の位置まで、すべて特定できるという意味ではありません。

原作を手がかりに土地を知ることと、映像の構図を現地と照合することは、別々の確認が必要です。

アニメ作品では「ロケ地」より「舞台・ゆかりの場所」と捉える

実写映画なら、俳優が撮影を行った場所をロケ地と呼べます。しかし、この記事で扱っているのはアニメ映画です。

そのため、御影やニテコ池については、「作品の舞台」「背景と関わりのある地域」「ゆかりの場所」と捉えるほうが、関係を理解しやすくなります。

実在の土地が作品と結びついていても、現在の風景を見れば、画面と同じものがそのまま残っているとは限りません。時間がたてば建物や道路、周辺の環境も変わります。

「映画と同じ角度で見つからないから、ここではない」と急いで判断することも、少し似ているからといって「この場所に間違いない」と決めることも避けたいところです。

ニテコ池の近くには『火垂るの墓』の記念碑がある

西宮市の紹介によると、ニテコ池に隣接する震災記念碑公園には、2020年に有志によって建立された『火垂るの墓』の記念碑があります。

出典:西宮市「秋蛍 祈る平和や ニテコ池」

前半で触れた神戸の石屋川公園のモニュメントとは、別の場所です。神戸にも西宮にも、作品を通じて戦争の記憶を伝える場所があると整理すると、混同しにくくなります。

こうした記念碑は、兄妹が暮らした建物や横穴壕がそのまま保存されているということではありません。作品と土地のつながりを、今を生きる人へ伝えるための場所です。

舞台を探すときは、画面に出てくる風景を見つけたくなりますよね。ただ、記念碑の存在を知ると、その土地の人たちが作品をどう受け継いでいるのかにも目が向きます。

現在も蛍が見られる場所とは限らない

ニテコ池について、もう一つ区別しておきたいのが蛍です。

西宮市は、2025年の紹介ページで、市の調査ではニテコ池での蛍の生息を確認していないと説明しています。

したがって、「『火垂るの墓』の舞台だから、今も蛍が見られる」と案内することはできません。また、生息が確認されていないという説明から、過去も含めて一度もいなかったと結論づけることもできません。

作品に描かれた光景と、現在の自然環境は別に確認する必要があります。舞台を訪ねるときほど、その違いを知っておくと、映画のイメージだけで現地を決めつけずに済みます。

舞台を知ると、兄妹の移動が「暮らしの変化」として見えてくる

ここからは、神戸と西宮という舞台を踏まえた考察です。

兄妹の移動を、場所の名前だけで追うなら、神戸の住まいから西宮の親戚の家へ、その後は二人だけの暮らしへ、という流れになります。

しかし、そのたびに変わっているのは住所だけではありません。誰と暮らすのか、誰に頼れるのか、毎日の食事をどう確保するのかという、生活の条件そのものです。

『火垂るの墓』の舞台は、背景として町が描かれているだけでなく、兄妹を支える人との関係が変わる場所としても読むことができます。

親戚の家には、共同生活の難しさがある。一方、そこから離れれば、大人と暮らすことで得られていた支えも遠ざかる。場所の移動と、人とのつながりの変化が重なっているのです。

池のほとりの風景を、暮らしやすさと同じにしない

ニテコ池は、現在の公式観光案内では、池の周辺を散策できる場所として紹介されています。

出典:兵庫県公式観光サイト「ニテコ池」

ただ、自然のある場所が心地よく感じられることと、そこで幼い子どもと暮らし続けられることは、同じではありません。

兄妹が二人でいられる場所を得たとしても、食べ物や健康を守る条件まで整ったわけではない。風景の穏やかさと、生活の厳しさが重なるところに、物語の苦しさがあります。

「静かな場所で、二人なら暮らせそう」と感じる気持ちと、実際に生きていくために必要なもの。その隔たりは、舞台を具体的な土地として考えることで、かえって見えやすくなるのではないでしょうか。

まとめ|神戸と西宮は、兄妹の暮らしの変化と結びついた舞台

『火垂るの墓』の主な舞台は、兵庫県の神戸と西宮です。神戸の御影周辺は兄妹がもともと暮らしていた地域で、西宮は家を失った後に親戚を頼って移る地域です。

西宮市満池谷町のニテコ池は、自治体などが紹介する作品ゆかりの場所です。また、神戸の石屋川公園や、ニテコ池に隣接する震災記念碑公園には、作品を記憶するためのモニュメントや記念碑があります。

舞台を調べるときは、物語上の場所、原作ゆかりの土地、アニメの背景、現在の記念碑を分けて確認することが大切です。

町の名前が分かると、兄妹の移動を地理として追えるようになります。そして、その移動が、家族との日常から、親戚との共同生活、二人だけの暮らしへと変わっていく過程でもあったことに気づきます。

今も人が暮らしている町と、作品の中で失われていった暮らし。その両方に目を向けることが、『火垂るの墓』の舞台を知る意味の一つなのだと思います。

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