『魔女の宅急便』で、ウルスラが森の小屋で描いている大きな絵。夜空のような青い世界に、不思議な生き物や少女が浮かぶ姿は、街の風景とは違う印象を残します。
「あの絵にはどんな意味があるの?」「描かれている少女はキキ?」と気になった方もいるのではないでしょうか。
ウルスラの絵は、キキとの出会いに刺激を受けて描かれている作品です。物語の中では、飛べなくなったキキと、絵を描くことに悩んだ経験を持つウルスラをつなぐ存在として読むことができます。
ただし、絵の中のモチーフ一つひとつに、映画が明確な答えを示しているわけではありません。「この動物は必ずこれを象徴する」と決めつけるより、描かれた世界と、絵を見せる場面の会話を合わせて考えることが大切です。
また、この絵には実在する版画のモデルがあります。この記事では、制作背景として確認できることと、キキとの関係から読み取れる考察を分けて解説します。
※ここから『魔女の宅急便』でキキが飛べなくなる場面や、ウルスラとの会話に触れます。
ウルスラの絵には何が描かれている?現実から離れた幻想的な世界
ウルスラの絵には、深い青を基調とした空間に、少女や翼を持つ馬のような生き物などが描かれています。普段の街や森をそのまま写した風景画ではなく、現実の生き物と想像の世界が重なったような絵です。
映画そのものにも、ほうきで空を飛ぶ魔女という不思議な存在が登場します。しかし、キキが暮らす街では、買い物や仕事、交通、人づきあいといった日常が具体的に描かれています。
それに対して、ウルスラの絵は、日常の決まりから離れた世界に見えます。地上にいるはずの生き物も、空間を自由に漂っているように感じられるのです。
ここから、絵に「自由」や「想像する力」を読み取ることはできるでしょう。ただし、それは画面から広げた解釈であり、監督が各モチーフの意味を公式に説明したものとして扱うことはできません。
絵の中の少女は、キキの単純な似顔絵ではない
ウルスラは、キキとの出会いをきっかけに絵を描いていることを伝え、キキにモデルを頼みます。そのため、絵とキキの間には、作中で示される直接的なつながりがあります。
ただ、そこで描かれているのは、赤いリボンと黒い服のキキを、そのまま日常の姿で写した肖像画ではありません。ウルスラがキキから受け取った印象を、自分の絵の世界へ取り込んでいると考えられます。
キキの外見を正確に記録することより、キキと出会って生まれた感覚を形にすることに重心がある、という見方です。
相手をモデルにすることと、相手をそっくりに描くことは、必ずしも同じではないんですね。だからこそ、絵の中の少女を「キキそのもの」として見るだけでは、この場面の意味を捉えきれないかもしれません。
ウルスラの絵のモデルは、実在する版画「虹の上をとぶ船」
映画の中ではウルスラが描く絵ですが、制作背景には実在する作品があります。
八戸市美術館の公式ページに掲載された紹介文では、ウルスラの絵のモデルとして、「虹の上をとぶ船」シリーズの一枚「星空をペガサスと牛が飛んでいく」が紹介されています。
このシリーズは、八戸市立湊中学校養護学級の生徒たちが共同制作した版画で、坂本小九郎先生が指導したものです。
ここで分けておきたいのは、物語の中の作者はウルスラであり、映画に使われた絵のもとには、生徒たちの共同制作による版画があるということです。
「ウルスラという画家が現実にもいて、その作品を映画に使った」という話ではありません。また、「虹の上をとぶ船」はシリーズ名なので、映画の絵そのものの題名と、無条件に同一視しないほうが正確です。
この背景を知ると、あの幻想的な世界が、映画のためだけに生まれたものではないことも分かります。現実の生徒たちが形にした想像の世界が、アニメーションの中で別の役割を持っているのです。
なぜウルスラは、飛べなくなったキキに絵を見せるのか
絵の意味を考えるうえで重要なのは、キキがそれを見る時期です。
このときのキキは、以前のようにほうきで飛べなくなっています。空を飛ぶ力は、街で始めた宅急便の仕事を支えるものでもあるため、その変化は日々の暮らしにも関わる問題です。
キキにとっては、自分の中に当然あると思っていた力が、急に頼れなくなった状態といえるでしょう。
そんなキキに、ウルスラは自分にも絵を描けなくなった時期があったことを話します。魔法と絵は別のものですが、できていたことができなくなる不安という点で、二人の経験は重なります。
完成した絵だけでなく、描けなかった経験を伝える
もしウルスラが、立派な絵を見せて「頑張ればできる」と言うだけだったら、キキには負担になったかもしれません。
しかし、この場面では、絵を描くウルスラ自身にも迷いや行き詰まりがあったことが語られます。今ここに絵があるからといって、ずっと迷わず描けていたわけではないのです。
ウルスラの絵は、才能がある人の完成品として見せられるだけでなく、描けない時期を通ってきた人の言葉と一緒に、キキの前に置かれています。
だから、この場面は「上手な人と、できなくなった人」の比較には収まりません。今は絵を描いているウルスラも、キキの不安を少し理解できる側にいます。
できなくなったときに、目の前の相手が「自分にもそういう時期があった」と話してくれる。それだけで、悩みが自分だけのものではなくなることがあります。この会話にも、そうした支えを読み取れるのではないでしょうか。
キキは力を失っていても、誰かの創作を動かしている
もう一つ見逃せないのは、キキ自身がウルスラの絵を描くきっかけになっていることです。
キキは、自分が飛べないことに向き合っています。一方、ウルスラにとって、そのキキとの出会いは絵を描きたいと思う刺激になっています。
ここには、本人が自分をどう見ているかと、他人がその人から何を受け取っているかの違いがあります。
キキが今うまく飛べないことと、キキの存在が誰かの心を動かすことは、同時に成り立つのです。
もちろん、それで仕事の問題がすぐ解決するわけではありません。けれど、飛べるかどうかだけでは測れないキキの姿を、ウルスラの絵は映しているようにも見えます。
ウルスラの絵は、キキが再び飛ぶことを予言しているの?
空を感じさせる絵と、飛べなくなったキキ。その二つを並べると、ウルスラの絵がキキの未来を示しているように感じられるかもしれません。
ただし、映画の中で、この絵が未来を予言するものだとは説明されていません。絵に特別な魔法が宿っていて、キキの力を回復させたという描写もありません。
ここで考えたいのは、絵の中には自由に飛ぶような世界が広がっている一方、絵を見るキキは飛べない状態にある、という対照です。
キキにとって空を飛ぶことは、想像上の夢ではなく、それまで実際にできていたことです。しかし今は、その感覚を取り戻せずにいます。そんなキキの前に、現実の制約から離れたような絵が置かれているのです。
この対照から、絵を「今の不調だけでは閉じてしまわない、キキの可能性」として読むことはできるでしょう。現在できないことが、その人のすべてを決めるわけではない。そうした見方につながる絵なのかもしれません。
ただ、可能性を感じられることと、すぐに力が戻ることは別です。映画も、絵を見た瞬間にキキが飛べるようになる展開にはしていません。
ウルスラの絵は、キキの問題を一瞬で解決する道具というより、自分の力との向き合い方を考える場面の一部として受け取れます。
幻想的な絵と、宅急便の仕事はどうつながる?
ウルスラは絵を描き、キキは荷物を届けています。片方は芸術、もう片方は日々の仕事です。一見すると、二人が取り組んでいることは大きく違います。
しかし、どちらも自分の中にある力を使って、何かを形にしている点では重なります。ウルスラは見たものや感じたものを絵にし、キキは空を飛ぶ力を、誰かの荷物を届ける仕事につなげています。
そして、その力は、使いたいと思えばいつでも同じように使えるとは限りません。ウルスラが語る描けなかった経験と、キキの飛べない状態は、その不確かさを共有しています。
「できること」が自分の役割になったときの不安
キキは街で暮らし始め、自分にできる空を飛ぶことを生かして仕事を始めました。だから、飛べなくなることは、得意なことを失う不安だけではありません。仕事をどうするのか、街でどう暮らすのかという問題にもつながります。
ウルスラとの場面では、そうしたキキが、荷物を運ぶためではなく、絵のモデルとして必要とされます。
ここではキキに求められているものが変わっています。早く飛ぶことでも、荷物を無事に届けることでもなく、ウルスラが描こうとしているものに関わることです。
仕事で力を発揮できない時期にも、人との関係は別の形で生まれる。モデルを頼まれる場面には、そのような意味も読み取れるのではないでしょうか。
それで暮らしの心配がなくなるわけではありません。それでも、仕事がうまくいくかどうかだけに集中していた視線を、少し外へ向けるきっかけにはなりそうです。
ウルスラの絵の意味を、一つに決めなくてもいい理由
幻想的な絵を見ると、描かれた動物や色に、一つずつ意味を当てはめたくなることがあります。青は何を表すのか、翼のある生き物は何の象徴なのか、少女はどこへ向かうのか。気になる点はいくつもあります。
けれど、この絵について、映画がすべてのモチーフに解説を付けているわけではありません。そのため、個々の象徴を断定するより、まずは絵全体からどんな印象を受けるかを考えるほうが自然でしょう。
夜空のような青に静けさを感じる人もいれば、暗さや不安を感じる人もいるかもしれません。空に浮かぶ姿にも、解放感と心細さの両方を読み取る余地があります。
こうした受け取り方は、どれか一つを公式の正解にするものではありません。絵の描写を手がかりにした考察として、並べて考えることができます。
特に大切なのは、実在する版画の作者たちが込めたもの、映画制作でその作品を取り入れた理由、物語の中でウルスラが描いているものを、すべて同じ意図として扱わないことです。
モデルとなった版画の制作背景と、キキの物語に置かれた絵の役割には、つながりがある一方で、それぞれ別の文脈があります。
元になった作品については、八戸市美術館の公式ページで紹介されています。背景を知りたい場合は、映画の考察と合わせて確認すると、絵を見る視点が広がります。
「何を表しているか」を一つに決めきれなくても、絵が物語の中で働いていることは分かります。キキが立ち止まった時期に、ウルスラが自分の経験と創作を見せる。その組み合わせから考えられることが、この場面にはあるのです。
まとめ|ウルスラの絵は、飛べないキキを別の視点から見せてくれる
『魔女の宅急便』のウルスラの絵は、幻想的な世界の中に、キキとの出会いから生まれたイメージを取り込んだ作品として描かれています。
制作背景には、八戸市立湊中学校養護学級の生徒たちが共同制作した版画「虹の上をとぶ船」シリーズの一枚があります。物語の中のウルスラの創作と、実在する版画の背景は、分けて理解することが大切です。
絵の意味について、モチーフごとの公式な答えが示されているわけではありません。しかし、飛べなくなったキキが、描けなくなった経験を持つウルスラと話す場面に置かれることで、絵は二人の悩みをつなぐ存在になっています。
今のキキが失っている力だけでなく、キキとの出会いが誰かに生み出したものを見せてくれる。そこに、ウルスラの絵を物語の中で読む面白さがあります。
自分では「できなくなった」と感じている時にも、誰かは自分から何かを受け取っているかもしれない。あの絵は、キキがまだ知らない自分の姿を、そっと差し出しているようにも見えるのではないでしょうか。

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